「閉鎖経済では政府の赤字は民間の黒字に等しく、したがって政府が赤字を拡大しなければ経済成長は不可能である」との主張を見る。*1これは経験的にそうなりがちであるという主張ではなく、論理的に必ずそうなるという主張だから、誤りを示すには、政府が黒字でかつ経済成長している仮想の数値例*2を一つ挙げれば足りる。
以下に示す。
直接税はGDPの30%、政府支出はGDPの20%と仮定した。消費性向や労働分配率なども適当に仮定*3した。GDP統計が論理的に満たすべき性質(三面等価)は問題なく満たしている。資金循環統計の資金過不足は以上から機械的に導出される*4。
さてこの経済は常に財政黒字(政府の資金余剰)を拡大しているが、GDPも常に成長している。経済成長という言葉でGDPの成長を意味するなら(普通はそうだろう)、冒頭の主張の誤りは示されたことになる。
なるほど、黒字・赤字という言葉で資金循環統計の資金余剰・資金不足を意味するのなら、確かに政府の資金余剰の金額は民間全体の資金不足の金額に等しい。その意味に解する限り、冒頭の主張の前半は問題なく正しい。資金の貸付と借入は同じ取引を反対側から見ているだけなので、上り坂の数と下り坂の数が等しいのと同じく、これは常に成り立つ。だがそれは経済成長とは全然別の話だ。
また資金循環統計の黒字(資金余剰)・赤字(資金不足)は企業会計上の利益の黒字・赤字とも全然違う。GDP統計では営業余剰が企業会計上の利益に相当する。資金循環統計の資金不足というのは、企業会計の言葉に翻訳すれば社債・借入金・純資産の増加のことであって、当然に利益の黒字と両立する。
要するに「政府の赤字は民間の黒字」というのは資金循環統計の資金過不足の話としては正しいのだが、それはGDPの成長や企業利益の成長とは全然別の話なので、「したがって政府が赤字を拡大しなければ経済成長は不可能である」とは言えない。冒頭の主張は、赤字・黒字という言葉のイメージに頼ったレトリックに過ぎない。
いや、あるいは冒頭のような主張は、GDPの拡大ではなく資金循環統計上の民間の資金余剰の拡大をこそ「経済成長」と呼ぶべきだという、「経済成長」の新たな定義を暗に提唱しているのだろうか? もし「経済成長」をそのように定義するのなら、冒頭の主張は全く正しい。だがそのように定義された「経済成長」概念はいったい何の役に立つのだろうか? GDPとも企業利益とも、家計消費や家計貯蓄とも関連しない「経済成長」はいったい誰にとってうれしいのだろうか? ここには経済厚生の発想が欠けているのである。