それでも貿易はインドを豊かにする

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上の話によると、東インド会社の時代、インドの綿製品よりも遥かに安い大英帝国の綿製品がインドに流入したことにより、インドの伝統的な紡績業は壊滅してしまったという。それが大反乱を招いたとも。

 本当にこれだけの話なら、英国産の綿製品の流入が紡績業従事者を除くほとんどのインドの人々にとって良いことだったのは明らかだ。彼らは従来よりも遥かに安く綿製品を入手し、余った所得を別のことに使えるのだから。

 そして紡績業に携わる人々にとって悪いことだったのかも自明じゃない。彼らの所得が例えば80減ったとしても、従来100払わなければ買えなかった綿製品が10で買えるのなら彼らの生活は改善する。

 比較優位の原理を腐すコメントもあるようだけど、インドは一方的に商品を買っていたわけじゃなく、インドからは原材料の綿花が輸出されていた。労働集約的なインドからは綿花が、資本集約的な英国からは綿製品が輸出されるというのは基本的に比較優位の原理(の拡張版であるヘクシャー・オリーンの定理)に合致する。

  ところで、仮に輸出する商品もなく一方的に輸入し続けるとして、どう問題なんだろうか? いつかこっちの代金が枯渇して向こうが売ってくれなくなることだけが問題なのであって、売ってくれる分には頂戴しておけばいいでしょう。

 大反乱について言えば、当時の東インド会社がインドの実質的な統治者だったことを忘れるわけにはいかない。重税や藩王国の取り潰しに対する抵抗という面を抜きに、商品の輸入が大反乱を招いたように語るのは公平じゃない。

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 実際のところインドの一人あたりGDPはムガル帝国時代から緩やかに下降していて、大反乱(1857)前の東インド会社による決定的な影響は見られない。*1 大反乱後しばらくしてから成長に転じるのは、大英帝国による直接統治が始まって、英国からの対内直接投資が増加したからじゃないかと思われるけど、20世紀半ばには再び停滞する。

 結局、インドが飛躍的な成長を遂げるのは1990年代を待たなきゃならなかった。つまり、主にラオ政権以降、政府による複雑な許認可制度が廃止され、電力・港湾などのインフラ投資に民間資本や外資の導入が認められ、公的企業の売却が行われ、そして、貿易の自由化が進められることを。

 インドを独立させたガンディーはおそらく偉大な指導者だった。けれど彼の考えとは違って、インドの経済を蘇らせたのは糸車じゃなく、インドの人々の企業家精神であり、外資であり、貿易だったのだ。

*1:グラフはMaddison Projectによるインドの一人あたり実質GDPの長期推計。縦軸は2011年のUSD。