なぜ食料自給率にこだわることが食の安全を損なうのか

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食料自給率などといったところで石油が輸入できなければトラクターだって動かない。北海道や新潟で収穫された作物を東京に運ぶこともできないだろう。野菜を陳列するスーパーの棚に冷房を効かせることもできない。「食料自給率」を高めたところで貿易抜きでは僕らの食生活は成り立たない。

 また本当に食料が国内で自給できるようになるとしても、その比率を高めることで食料が足りなくなるリスクに備えようというのは危ない考えだ。日本列島が冷害や台風の被害に見舞われるかもしれないし、病害が流行るかもしれない。そのダメージは食料の自給比率が高いほど破滅的になる。

 リスクというのは未来の読めなさのことだ。特定の1つの選択肢の重み付けを高めるのは読めない未来に抗う手段ではない。リスクを低減するには「分散」することだ。なにか不都合な未来が実現したとしても、その影響が全体に波及しないような構造を作っておくことだ。

 だから食料が足りなくなるリスクに備える方法は、その国内での生産比率を高めることではなく、できる限り多くの国から食料が輸入できる関係を維持することだ。中国から買えなければアメリカから、アメリカから買えなければオーストラリアから買えるような関係を作っておくことだ。

 つまり食の安全を確保するために大事なのは、食料が調達できる可能性のポートフォリオだ。食料の自給にこだわって外国の農作物を国内市場から締め出せば、ポートフォリオの構成は「日本の農作物」に偏ってしまう。それは僕らの食の安全を損なうことになる。