「次世代の国富を担う産業創出」を掲げ、民間で負えないリスク資金を注ぐが、ベンチャー育成で苦しむ姿が浮かんできた。
リスクには、資金提供者が負っても良いと考える適切な水準がある。成功した場合のリターンが極めて高いと見込まれるなら、資金提供者は比較的大きなリスクも許容するだろう。あるいは十分に安全なプロジェクトなら、低いリターンでも許容するだろう。
リスクを負えないという理由で資金提供者がプロジェクトから撤退したとすれば、それは期待されるリターンに比べてプロジェクトの危険が大きすぎるという資金提供者の判断を示している。
ここでプロジェクトを継続するために出資契約に無理やりサインを強要することは、もちろん良いことではない。それは資金提供者に、リターンに見合わないリスクを負わせることになるからだ。あなたがリスクを取りたがらないから、私が代わりに決断してあげるんですよ、と言われても、余計なお世話だと返すしかない。
民間にリスク資金の提供者があらわれないのは、リターンがリスクに見合わないという民間の判断を示している。私が代わりに決断してあげますよ、と官製ファンドが民間から取り上げた税金を危険なプロジェクトに注ぎ込むことは、だから、まったく余計なお世話と言うしかない。それは政府が僕ら納税者に、リターンに見合わないリスクを無理やり負わせているだけだ。