競馬と選択と集中

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当たり馬券だけを買い続けることはできない。何枚かの当たり馬券を手にした人は何枚かの外れ馬券を手にした人でもあるだろう。けれどそのことは、彼が賭け金を複数の馬券に分散させる戦略を採ったことを意味しない。彼はひとつひとつのレースではただ一種類の馬券しか買わなかったかもしれないからだ。上の記事は博打で常に勝ち続けることはできないという当然の事実と、賭け金を分散させることの有効性とを混同している。

 競馬については、実は分散投資戦略には意味がない。馬が二頭だけの単純な競馬を考える。馬Aのオッズは馬Bのオッズの2倍とする(すなわち馬Aのオッズは3、馬Bのオッズは1.5)。このとき馬Aと馬Bに1:2の割合で賭けることが完全なパッシブ戦略となる。この戦略に100円を賭けたとき期待される配当は33*0.33*3+67*0.67*1.5=100である。競馬は客同士が賭け金を取り合っているだけなので、パッシブ投資から期待されるリターンは必ずゼロ(胴元の取り分を考慮すればマイナス)なのだ。完全に分散投資された馬券とは期待リターンを生まないリスクの塊である。リスクそれ自体を愛好しているのでなければ、誰がそんなものを買うだろうか?*1 正のリターンを期待するためには他の客を出し抜かなければならない。例えば馬Aの適正なオッズが馬Bの3倍だと予想する客は、パッシブ戦略に比べて馬Bに対する賭け金の比率を増やすことになる。そのような選択と集中だけが(そのようなことが可能であれば)競馬から正の期待リターンをもたらす。*2 *3

*1:期待リターンゼロのリスクの塊が買われる場合は存在する。デリバティブである。あるリスクを相殺するようなリスクを持つ証券はヘッジ目的に利用できる。もちろん馬券にはそんな使い道はない。

*2:株式市場に対しては分散投資は有効な戦略だけれど、アクティブリターンに限って考えると話は競馬と変わらなくなる。市場インデックスを上回る超過リターンを獲得するには他の市場参加者を出し抜くしかない。インデックスを買うだけなら誰でもできるので政府がやる意味はない。政府が民間の市場参加者を出し抜けると考える理由もない。だからクールジャパンなんとやらをはじめ官製ファンドは必然的に無意味か有害である。

*3:大学に配分される研究資金については、分散投資という考え方が意味を持つのかということからして問題である。競馬の場合はオッズの逆数によって、株式市場の場合には時価総額の比によってパッシブ投資比率を観念できた。では大学の研究資金の投資比率はどのように決めればいいのか。応募書類の数で均等に按分? まさか。大部分が税金によって担われる大学の研究については市場価格が存在しないので、投資比率をパッシブなやり方で決定することができない。薄く広くといったところで、それはそういう恣意的な選択と集中でしかありえない。研究資金の配分を株の分散投資戦略との類比で正当化することは困難である。