監査法人のローテーション制度に異を唱える

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会計監査は不正に制裁を科すためにあるわけではない。財務情報の誤謬や不正によって困るのは投資家だ。だから会計監査は投資家の利益になる限り、そしてその限りでのみ行われるべきといえる。

 監査にかけるコストを引き上げていけば財務情報に不正が存在するリスクを減らせるだろう。けれど不正リスクが減ることによる投資家の利益がコストを下回っていればコストを引き上げる意味がない。

 不正リスクをゼロにしてはならないのだ。投資家は監査の利益とコストの差を最大化するような監査こそを必要とする。そのときなお残る不正リスクは放置すべきだし、そのリスクが現実化したからといって規制を強化すべきではない。

 金融庁の調査報告*1はこんなことを書いている。監査法人のローテーションによって監査報酬が下落するおそれがあるのではないか、しかし海外の事例を見ると必ずしもそうではなく、むしろ増加しているとの見解もある、云々。

 だから安心してローテーション制度に賛成しなさいということだろうか。いったいどの方向を見ながらものを言っているのか。監査報酬が増加しているというのは監査のコストが増えているということではないのか。

 また監査のコストは監査報酬だけではない。経理部門や内部監査部門をはじめ、企業の多くのリソースが監査対応のために動員される。監査法人が頻繁に交代すれば企業にとって監査対応の負担は重くなる。

 ではどうすればいいのか? ローテーションの導入によるコストが投資家の利益に見合うかどうかをどうやって判断すればいいだろうか。金融庁にかわって僕が代案を提示しよう。

 まずリスクの高い株式を購入することは投資家にとって損失じゃない。リスクの高い株式はそれだけ割り引いて評価されるからだ。リスクに見合わない高値で購入することが損失なのであり、リスクの分だけ安く買えるならそれでよい。

 さて長く監査法人を交代しないことにリスクがあるなら、そのような企業の株式はそれだけ安く評価される。逆に監査法人の交代によるリスク減にコスト以上の価値があるなら株価が上昇するので、企業は自ら監査法人を交代する。

 したがって監査法人交代の必要性は市場が判断する。これが僕の代案だ。ローテーションの義務付けは監査法人交代による企業ごとの利益とコストを考慮するメカニズムを持たないため、市場メカニズムに比べて非効率にならざるを得ない。

 本当に市場メカニズムが働くのか疑問に思われるだろうか? けれど僕はこのメカニズムの有効性にほとんど確信を持っている。というのは監査法人の交代による株価の変動は今も実際に観察されるからだ。

 会計監査人が大手の監査法人から中小の監査法人に交代したとき、その企業の株価が下落することはよく知られている。大手の監査法人が匙を投げた可能性が示す不正リスクに市場が反応しているのだ。

 投資家はたしかに会計監査人の交代をチェックしていて、それを考慮して株を売買している。それなら会計監査人が交代しないことによるリスクも、積極的な交代によるリスク減も株価は織り込んでいる。

投資利益率を最大化するのはいけないこと? ――公認会計士試験で学ぶ企業会計

次の文はマルかバツか。

投資利益率(ROI)を事業部長の業績評価尺度として用いる場合,事業部長が投資案の採択に当たって全社にとって望ましい投資案を棄却することはない。(平成29年第2回短答式管理会計論改題)*1

投資利益率と残余利益

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具体的な設例で考えよう。投資利益率(ROI, Return on Investment)は投資金額に対して何%の利益が生じるかを表す。これを図の縦軸で示している。例えば案件Aの投資利益率は10%だ。

 横軸を投資金額とすれば、グラフの面積が(株主資本コスト控除前の)利益金額を表す。案件Aの横幅を1000万円とすれば、その利益金額は100万円と計算される。

 利益金額から株主資本コストを控除すると残余利益(RI, Residual Income)になる。投資家の要求利回りを赤線(3%)とすると、案件Aの資本コストは30万円、残余利益は100-30=70(万円)となる。

残余利益を最大化することは株主価値を最大化すること

これは投資案件Aを実行すると、実行しなかった場合に比べて株主価値が70万円だけ高まることを意味する。要するにグラフのうち赤線よりも上の部分の面積が投資案件を実行した場合の株主価値の増加分を表現している。

 残余利益がプラスである案件A, B, Cを実行すれば株主価値が増加する一方、残余利益がマイナスである案件D, Eを実行すれば株主価値は低下する。したがって案件A, B, C(だけ)を実行したときに株主価値は最大化される。

株主価値の最大化と投資利益率の最大化は一致しない

複数の投資案件が実行される場合の投資利益率は、グラフを水槽の水と思えば直感的に理解できる。案件A, B, Cが実行されるとき、それらの投資全体の投資利益率は、それら3つの案件の間の仕切りを取っ払った場合の水面の高さとなる。

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 このとき株主価値は最大化されているけど、案件Cの実行を取り止めれば投資利益率はなお上昇する。最も投資利益率の低い案件から順に切り捨てていけば、実行される投資案件全体の投資利益率は上昇するのだ。

解答

 したがって冒頭の問題の答えはバツとなる。事業部長の業績が投資利益率で評価されるなら、彼は自分の評価を最大化するために、株主価値の増加をもたらす投資案件を切り捨てる動機を持つ。

 全社にとって望ましい投資案を棄却させないためには投資利益率ではなく、残余利益によって業績が評価されるべきとなる。なお同じ理屈はROEやROAについても言える。

*1:なお公認会計士試験で学ぶ企業会計は今後シリーズ化予定。

ハリケーン、交通整理、価格

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経済や社会の問題には自然科学と違った特有の難しさがある。地球が動くべきじゃないと考えるのは何かの原理主義者だろうけど、非常用品の価格が高騰すると、そうあるべきじゃないという考えが多くの人に自然に沸き起こってしまう。

 べきかどうかを考える前に、何が起こっているかを虚心坦懐に眺めたなら、アマゾンが非常用品の価格を据え置いても問題が解決しないのが分かる。起きることはただ、お金を多く払える人から順番に買えていたのが、クリックした順番になる。

 問題は商品が足りないことで、価格の高騰はそれを映すシグナルだ。非常用品を手元に余らせていた人々は、価格が上がるのを見て出品を増やすだろう。そうして品不足は解消していく。

  もしも需要に合わせて価格を引き上げる人々を市場から追放したら、そのとき僕らの経済は本当に破滅的な品不足に見舞われる。彼らはいわば価格という信号機で、商品があるべき場所に向かうように交通整理をしてくれているのだ。*1

*1:もちろんどこかの誰かが慈善や宣伝を目的に価格を据え置くのも自由だ。でもそれを強制すれば、価格はシグナルとしての役割を果たすことができなくなる。

農地の宅地化を防ぐことはどのように官製カルテルなのか

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農林水産省と国土交通省は、都市部の農地「生産緑地」を維持するための対策に乗り出す。地主の相続税を猶予したり、硬直的な土地の貸し借りの仕組みを柔軟にしたりして、企業やNPOが借りやすくする。*1

農業をするよりも住宅を建てた方が儲かると判断されたとき、その土地は宅地化される。なぜ住宅の方が儲かるのかといえば、農産物より居住サービスの方が高く売れるからだ。

 つまり、消費者が居住サービスをより強く求めるからこそ農地は宅地化される。これを妨害する政策が僕らを豊かにすることはない。その政策は限られた土地を、より求められていない商品の生産に振り向けるのだから。

営農をあきらめる人が増えれば、一気に宅地化が進む可能性がある。住宅価格の急落など、「2022年問題」として懸念する声がある。

かつて自動車は庶民には手が届かなかった。フォードが大量生産をはじめると自動車の価格は下落し、庶民でも自動車が買えるようになった。いうまでもなく、これは良いことだ。

 宅地が増えることで住宅価格が下落するのも同じことだ。より多くの住宅が供給され、そのことによって、より貧しい人でも住宅が買えるようになる。あるいは安く家が借りられる。いうまでもなく、これも良いことだ。

 いや例えば、借家の貸主は家賃が下がって損するじゃないか、という意見があるかもしれない。僕もそう思う。おそらくフォードの大量生産の成功によって値下げを余儀なくされたライバル社があったように。

 宅地への転用を封じることで住宅価格を維持するのは、かつての自動車業界でフォードの参入を阻止し、自動車価格を維持しようとするのに似ている。それはこれから住宅を買う貧しい人々を犠牲に既得権を守る官製カルテルだ。

*1:後半の「硬直的な土地の貸し借りの仕組みを柔軟に」するというようなことについては、僕は原則的に賛成だ。貸手と借手が互いに納得した条件を行政が禁じるべき場合は例外的だからだ。

政府による債務保証はどのように僕らの税金を特定企業に献上するのか

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政府は日立製作所が英国に建設する原子力発電所について、日本のメガバンクが融資する建設資金を日本貿易保険(NEXI)を通じて全額補償する。

メガバンクが日立の原発建設プロジェクトへの融資を出し渋る。そこで政府が日立のメガバンクに対する債務を保証する。これによってメガバンクは日立への融資が可能になる。政府の力でインフラ輸出を活性化するのだ!

 でも待ってほしい。メガバンクが融資を出し渋ったのは融資が回収できない可能性があったからだ。その可能性とはつまり原発建設が長引く可能性や原発事故が起きる可能性で、保証書なんて紙切れで消え去るものじゃない。

 もしも追加の原発工事費や原発事故の損害賠償金が発生し、融資が回収できなくなったときには、政府が日立に代わってメガバンクに融資を返済する。つまり政府による債務保証とは確率的な補助金を意味している。

 補助金の原資はいかなる形であれ納税者の負担でしかありえない。政府が債務保証を行えば原発建設が実行できるというのは、納税者の税金で損失補填すれば採算が合うと言っているに等しく、無意味で有害だ。

関連記事

なお上の記事ではこんなことも言っている。

英政府と日立、日本政策投資銀行、国際協力銀行(JBIC)が投融資を実施する見込みだが、巨額な資金を調達するには民間融資が不可欠になっている。

 日本政策投資銀行や国際協力銀行といった政府系金融による低利融資もまた補助金と同義で、納税者の負担を意味している。

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内部留保は何を留保しているのか

内部留保はとても重要な概念だ。*1内部留保を理解することは貸借対照表と損益計算書の関係を理解することに等しい。したがってそれは複式簿記を理解することほとんどそのものだ。

会社を設立する

僕が100百万円を元手に会社を設立し株主になる。これが設立時の貸借対照表だ。

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 左側は会社にどんな財産が存在するかを示す。その形態は問わない。*2右側は誰が会社に財産を拠出したかを示す。資本とは株主が拠出した金額を意味する。*3 *4

会社を操業する

その後1年間の操業した成果が損益計算書だ。例えばこう。

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利益を配当する

利益はすべて株主たる僕のものだ。*5いやっほう! 僕はこの利益を配当として会社から受け取る。それで好きなものを食べてもいいし、他の会社の株を買ってもいい。

配当を再拠出する

でも僕はちょっと考える。この会社の利益率はすごくいい。それなら好きなものを食べるのは我慢して、配当の30百万円も追加で拠出しようじゃないか。*6

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 仮に同じ利益率が維持できれば翌年度の損益計算書はこうなる。

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 こうして会社は成長していく。やったね。

内部留保は配当の留保

上では利益をすべて配当し、改めて会社に拠出するという話だった。内部留保とはこの配当を初めから会社に残した場合をいう。*7要するに内部留保とは配当を留保しているのであり、それは株式市場からの資金調達と基本的に変わらない。*8 *9

*1:けれど僕はこの言葉を好まない。会計上厳密に使用されている「利益剰余金」を用いる方が誤解が少ないと思う。

*2:設立時点ならふつうは現金預金だろうけど、他の可能性として、100百万円分の土地や有価証券を現物出資したかもしれない。また今後、事業が運営される中で資産は刻々と形を変えていく。

*3:資本、資本準備金、株主資本などの用語が使い分けられることもある。また負債資本という表現も存在するから厄介だ。ここでは株主資本の意味で使う。

*4:仮にこの時点で会社を解散するなら、当然だけど、左側に計上されている100百万円の資産のすべては株主たる僕に返ってくる。

*5:従業員に支払う給料は原価などの費用に含まれる。利益計算は株主のために行うので、株主のものにならない部分は定義上利益から除外される。

*6:だからこの時点で会社を解散しても、当然だけど、左側に計上されている130百万円の資産のすべては株主たる僕に返ってくる。

*7:したがって内部留保が株主に帰属するのは当然で、内部留保との関係で賃上げを要求することはできない。賃上げを要求するなら「内部留保が多すぎる」ではなく、「利益が多すぎる」と主張する方が理屈に合うだろう。

*8:言い換えれば、株式発行費用が無視できるなら、企業が配当直後に新株を発行して既存株主に割り当てることと内部留保を積み増すことは経済的実体として区別できない。

*9:だから内部留保の過大が問題になるとすれば次のような場合だ:企業の限界利益率が低いため株主に資本を返すべきなのに、企業のガバナンスが機能せず、十分な配当や自己株式取得が行われない場合。

規制における品質と量

企業ファイナンスではよく知られていることだけど、ROAなどの利益率指標のみに頼ると判断を誤る。最も利益率の低い事業を切り捨てれば企業全体の利益率は上がるに決まっている。けれど、その事業でもネットキャッシュインフローの割引現在価値がプラスなら、企業価値に貢献するので切り捨ててはいけない。

 獣医師などの規制産業の品質にも同じ問題が潜んでいる。医療ミスの発生確率が0.2%の高品質の医療と2%の低品質の医療があったとして、規制によって低品質の医療を排除すれば医療ミスの発生確率は下がる。が、低品質の医療しか受診できない、例えば貧しい患者や患畜は医療を受けられないまま死ぬ。

 この種の規制産業に関しては、品質の低下が絶対にあってはならないことかのような言説をしばしば耳にする。その発想は経営判断に際してROAに固執することに似ている。最も品質の低いものを排除すれば品質の平均は上がるに決まっている。けれど品質の平均を下げても量を増やすべきことはふつうにあり得る。