技術流出?

例えば東芝の半導体事業が海外資本に買収される。この「技術流出」によって東芝は特に損をしない。技術の分だけ高く売れるのだから。後から考えると安く売りすぎたということはあるかもしれないが、それはどんな取引にだって言える。

 海外への「技術流出」で他の日本企業が損をすることもない。ソニーやルネサスにとっては日本資本の東芝と競争していたのが、海外資本の(元)東芝と競争することになるだけだ。

 税収が減って日本政府が損をするということもない。利益が海外に流出することで課税ベースが減るように思われるかもしれないが、東芝の側では失った将来利益に見合うだけの売却益が生じるので、そちらに課税できる。

  誰かが何か損をするとすれば、日本の政治家や官僚が海外に「流出」した事業への影響力を失って、利権や天下り先が減ってしまうことはあるかもしれない。もちろん、それが守られるべきものだとは僕は思わない。

某アニメ会社による不正の簡単な会計的解説

GONZOの会計不正が今更ながら一部で話題になっていた。複数の不正の手法が用いられているものの、アニメ会社で発生した事例という観点からは製作委員会方式を利用した点が注目される。

 製作委員会方式の場合、アニメ制作会社や広告代理店など複数の関係者が出資をして製作委員会というハコを作る。製作員会はアニメを製作・制作し、そのコンテンツ利用から得られた収益をそれぞれの出資者に分配する。

 とはいえ製作委員会はただのハコであって現実にアニメを制作するための手足を持たない。製作委員会は実際のアニメ制作を制作会社に外注する。GONZOは製作委員会に対して出資者であり、アニメ制作の受注者でもある。

 GONZOが制作委員会に出資した際には次の仕訳が切られる。

  出資金/現預金

 なお出資金は資産項目である。株や有価証券と同じように考えれば良い。製作委員会にアニメを納品した際には次の仕訳が切られる。

  現預金/売上

 しかしこれはおかしい。二つ目の仕訳でGONZOが製作委員会から受領した現預金の少なくとも一部は一つ目の仕訳でGONZOが製作委員会に支払ったものである。すると計上された売上にはGONZOが自分で自分に支払った分が含まれている。これは売上から控除されなければならない。

 要するにこれは古くは子会社を使って行われていた典型的な不正スキームと同じである。子会社と親会社の間で資金を還流させ、親会社に戻ってきた資金を親会社の売上にしてしまう。

 連結会計が導入されてからはこのような不正を行う意味は薄れてしまった。製作委員会も任意組合であるから連結の対象になり得るが、今回のケースでは出資比率や議決権比率の関係で必ずしも連結の対象にならなかったと考えられる。

 もっともGONZOは自らが製作委員会の幹事会社となり出資に関する仕訳を省略した場合でもわざわざ

  コンテンツ資産/売上

 という仕訳を切っていたようであるから、連結したところで不正の抑止にはならなかったかもしれない。明らかに未実現利益であり、不正としてはお粗末である。

飲み会参加証券のプライシング

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*1

所得フローx_0, x_1, x_2, ..., x_t, ...... を生じる資産の価値(時価)は割引率をiとして所得フローの割引現在価値Σ(x_t/(1+i)^t)となる。例えばxを企業のFCFと見ればこれはDCF法によって求められた企業価値そのものである。企業価値は債権者と株主が分配する。あるいははじめから株主に帰属する所得フローだけを考えれば株主価値(理論上の株式時価)を直接求めることもできる。これは割引配当モデルである。

 飲み会も同様に考えることができる。上記所得フローを飲み会から得られる便益と考えれば飲み会参加者に帰属する割引現在価値が算定される。それは飲み会の適正な参加料と解釈できる。多くの場合飲み会は会を決行するその場で集金して解散するからその便益フローは例えば(5000円, 0, 0, 0, ......)となり参加料は単に5000円となる。参加者の支出とサービス受領が同時であるという単純さゆえにかえって分かりにくく思えるかもしれないが、参加料の支払いから飲み会当日まで時間が空くケースではその間参加者に純資産が生じていることは簿記上も容易に理解される。

 飲み会参加者と株主との類似性をより一層明瞭にしたいなら参加料の受領時点で幹事が参加者にその権利を示す受領証を付与することをイメージすれば良い。すると先の飲み会参加料の計算は受領証の株価を算定していることに他ならない。株という言い方が気に入らなければ単に証券と言っても差し支えない。飲み会参加の権利に証券を見出すのは突飛に思われるかもしれないがゴルフ会員権などと大差ない。ゴルフ会員権と株式が似ているように飲み会の参加の権利証と株式も似ているのである。飲み会参加料の受領証は多くの場合譲渡困難と考えられるがある種のゴルフ会員権や閉鎖会社の株式もそれは同様である。

 飲み会参加者を株主になぞらえるのをなお躊躇われているかもしれないが、別にそれは構わない。両者が何において似ており、何において似ていないのかが理解されれば呼び方はどうでも良い。その上で呼び方が一致しないのは会計や経済ではなく単に比喩についての言語感覚の相違を示すに過ぎない。ここで強調したいのは経済をフローとその割引現在価値(ストック)で捉える見方である。それ以外を捨象するところまで抽象レベルを上げれば株主と飲み会の参加者との差は消失する。

 さらに所得フローを公共投資プロジェクトから生じる納税者の便益と見れば冒頭の式から当該公共投資プロジェクトの割引現在価値を算定することができる。これもまた突飛な発想ではなく実際に政策の現場で行われている費用便益分析そのものである。割引現在価値がプラスのとき(のみ)公共投資を実行すれば納税者に帰属する価値が増加する。これはDCF法で算定した価値がプラスの投資プロジェクト(のみ)を実行すれば株主価値が増加するのと同様の形式をしている。ただし抽象度を下げて考えれば株主は原則平等に扱われるのに対し公共投資プロジェクトでは特定の納税者が利されている可能性はある。それは別途考慮される必要がある。

 もっと話を広げるなら人々が生み出す労働サービスの価値フローを割り引けば人間自体を資産と考えてその価値を算定できる。他にもこの世には無数の有形無形の財・サービスのフローが存在する。現実にそれらすべてを書き下すことはできないが、それら一切のフローの割引現在価値として世の中に存在するすべての富の価値を記述するバランスシートが理論上存在する。これがアーヴィング・フィッシャーの洞察だった。そこに経済学と会計学の架橋がある。

*1:id:tamurin7 個別のコメントに直接応答するのは基本的に控えるようにしていますが、よくこのブログを見てくれているようなので特別にお返事します。

教育が投資であることは国債で資金調達すべきであることを意味しない

【日本の解き方】「こども保険」に反対する財界、さらなる法人税率引き下げ&消費増税の支持の政治的立場 (1/2ページ) - zakzak

企業経営の発想からみると、有効な投資であれば借り入れで賄うはずであり、税で賄うという発想は出てこないはずだ。(上記リンクの記事より)

国の教育支出に関して、最近、しばしば上のような主張を見かける。つまり、企業であれば投資は負債によって資金調達する。国が行う教育も同様に投資であり、したがって税ではなく負債である国債で資金調達すべき、という主張だ。

 けれどこの主張は前提から間違っている。企業の投資(=資産の形成、BSの左側)は負債(銀行その他からの資金調達)によって賄われても、純資産(株主からの資金調達)によって賄われても、いずれでも構わないからだ。

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 国は納税者が資金を拠出しあって運営されており、だから企業にとっての株主は、国にとっての納税者に相当する。実際、国の財務書類はそうなっていて、税財源は国の純資産増減のプラス項目になる。*1

 設備投資を新株発行で賄うことが企業の選択肢になるように、教育投資を税金で賄うことは国の選択肢になる。投資だから国債だという単純な話は成り立たない。国債か税かという問題はそんなことでは決着しない。

*1:税財源は資本の拠出ではなく売上に相当するものではないか、と言う意見があるかもしれない。僕はその意見は成り立たないと考えるが、仮にそれを認めるとしてもこの記事の議論は崩れない。売上だとしても結局、PLを経由して純資産に組み入れられるからだ。企業との対比で言えば、内部留保による資金調達を設備投資に回すことが可能なのと同様である。

1円スーパーを擁護する3つの物語

野菜を1円で販売 愛知のスーパー2社警告へ 公取委 :日本経済新聞

商品を継続して原価割れで販売しており、公取委は、他社の事業活動を困難にする恐れがあるとして規制される「不当廉売」に当たる疑いがあると判断したとみられる。(上記リンクの記事より)

その1

あるスーパーはサプライチェーンを見直すことで、より新鮮な野菜を従来と同じ値段で提供することに成功した。このスーパーの繁盛は他のスーパーの「事業活動を困難に」したが、それはこのスーパーが消費者に価値を提供したからだ。

  別のスーパーは販売価格を下げることで、従来と同じ品質の野菜をより安価に提供することに成功した。このスーパーの繁盛は他のスーパーの「事業活動を困難に」したが、それはこのスーパーが消費者に価値を提供したからだ。

その2

あるスーパーは毎週100万円の費用をかけて派手な新聞チラシをバラ撒いた。この広告宣伝効果は他のスーパーの「事業活動を困難に」したが、だからといってこのスーパーが非難されるいわれはない。

 別のスーパーは毎週100万円分の派手な値下げで大勢の客を呼び込んだ。値下げした商品自体は採算割れでも広告宣伝効果があったからだ。この値下げは他のスーパーの「事業活動を困難に」したが、新聞チラシ同様非難されるいわれはない。

その3

ある資産家が貧しい人々の不健康な食生活に心を痛め、人々に無料で野菜を配布する活動を始めた。人々は彼の慈善活動を賞賛したが、さすがに無料では申し訳ないとある者が資産家に申し出た。

 そこで資産家は1円だけ代金を頂くことにした。無料で賞賛されることなら、1円でもそれはやはり賞賛されることだ。しばらくして彼の家に役人が現れた。役人は資産家を、他社の「事業活動を困難に」した由でしょっぴいてしまった。

監査法人のローテーション制度に異を唱える

www.nikkei.com

会計監査は不正に制裁を科すためにあるわけではない。財務情報の誤謬や不正によって困るのは投資家だ。だから会計監査は投資家の利益になる限り、そしてその限りでのみ行われるべきといえる。

 監査にかけるコストを引き上げていけば財務情報に不正が存在するリスクを減らせるだろう。けれど不正リスクが減ることによる投資家の利益がコストを下回っていればコストを引き上げる意味がない。

 不正リスクをゼロにしてはならないのだ。投資家は監査の利益とコストの差を最大化するような監査こそを必要とする。そのときなお残る不正リスクは放置すべきだし、そのリスクが現実化したからといって規制を強化すべきではない。

 金融庁の調査報告*1はこんなことを書いている。監査法人のローテーションによって監査報酬が下落するおそれがあるのではないか、しかし海外の事例を見ると必ずしもそうではなく、むしろ増加しているとの見解もある、云々。

 だから安心してローテーション制度に賛成しなさいということだろうか。いったいどの方向を見ながらものを言っているのか。監査報酬が増加しているというのは監査のコストが増えているということではないのか。

 また監査のコストは監査報酬だけではない。経理部門や内部監査部門をはじめ、企業の多くのリソースが監査対応のために動員される。監査法人が頻繁に交代すれば企業にとって監査対応の負担は重くなる。

 ではどうすればいいのか? ローテーションの導入によるコストが投資家の利益に見合うかどうかをどうやって判断すればいいだろうか。金融庁にかわって僕が代案を提示しよう。

 まずリスクの高い株式を購入することは投資家にとって損失じゃない。リスクの高い株式はそれだけ割り引いて評価されるからだ。リスクに見合わない高値で購入することが損失なのであり、リスクの分だけ安く買えるならそれでよい。

 さて長く監査法人を交代しないことにリスクがあるなら、そのような企業の株式はそれだけ安く評価される。逆に監査法人の交代によるリスク減にコスト以上の価値があるなら株価が上昇するので、企業は自ら監査法人を交代する。

 したがって監査法人交代の必要性は市場が判断する。これが僕の代案だ。ローテーションの義務付けは監査法人交代による企業ごとの利益とコストを考慮するメカニズムを持たないため、市場メカニズムに比べて非効率にならざるを得ない。

 本当に市場メカニズムが働くのか疑問に思われるだろうか? けれど僕はこのメカニズムの有効性にほとんど確信を持っている。というのは監査法人の交代による株価の変動は今も実際に観察されるからだ。

 会計監査人が大手の監査法人から中小の監査法人に交代したとき、その企業の株価が下落することはよく知られている。大手の監査法人が匙を投げた可能性が示す不正リスクに市場が反応しているのだ。

 投資家はたしかに会計監査人の交代をチェックしていて、それを考慮して株を売買している。それなら会計監査人が交代しないことによるリスクも、積極的な交代によるリスク減も株価は織り込んでいる。

投資利益率を最大化するのはいけないこと? ――公認会計士試験で学ぶ企業会計

次の文はマルかバツか。

投資利益率(ROI)を事業部長の業績評価尺度として用いる場合,事業部長が投資案の採択に当たって全社にとって望ましい投資案を棄却することはない。(平成29年第2回短答式管理会計論改題)*1

投資利益率と残余利益

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具体的な設例で考えよう。投資利益率(ROI, Return on Investment)は投資金額に対して何%の利益が生じるかを表す。これを図の縦軸で示している。例えば案件Aの投資利益率は10%だ。

 横軸を投資金額とすれば、グラフの面積が(株主資本コスト控除前の)利益金額を表す。案件Aの横幅を1000万円とすれば、その利益金額は100万円と計算される。

 利益金額から株主資本コストを控除すると残余利益(RI, Residual Income)になる。投資家の要求利回りを赤線(3%)とすると、案件Aの資本コストは30万円、残余利益は100-30=70(万円)となる。

残余利益を最大化することは株主価値を最大化すること

これは投資案件Aを実行すると、実行しなかった場合に比べて株主価値が70万円だけ高まることを意味する。要するにグラフのうち赤線よりも上の部分の面積が投資案件を実行した場合の株主価値の増加分を表現している。

 残余利益がプラスである案件A, B, Cを実行すれば株主価値が増加する一方、残余利益がマイナスである案件D, Eを実行すれば株主価値は低下する。したがって案件A, B, C(だけ)を実行したときに株主価値は最大化される。

株主価値の最大化と投資利益率の最大化は一致しない

複数の投資案件が実行される場合の投資利益率は、グラフを水槽の水と思えば直感的に理解できる。案件A, B, Cが実行されるとき、それらの投資全体の投資利益率は、それら3つの案件の間の仕切りを取っ払った場合の水面の高さとなる。

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 このとき株主価値は最大化されているけど、案件Cの実行を取り止めれば投資利益率はなお上昇する。最も投資利益率の低い案件から順に切り捨てていけば、実行される投資案件全体の投資利益率は上昇するのだ。

解答

 したがって冒頭の問題の答えはバツとなる。事業部長の業績が投資利益率で評価されるなら、彼は自分の評価を最大化するために、株主価値の増加をもたらす投資案件を切り捨てる動機を持つ。

 全社にとって望ましい投資案を棄却させないためには投資利益率ではなく、残余利益によって業績が評価されるべきとなる。なお同じ理屈はROEやROAについても言える。

*1:なお公認会計士試験で学ぶ企業会計は今後シリーズ化予定。