安価な外国製品の輸入はなぜ日本の生産性向上と同じことなのか

牛丼チェーンに打撃=米国産の関税引き上げ (時事通信) - Yahoo!ニュース

牛肉セーフガード発動に米政府が強い懸念表明 | NHKニュース

www3.nhk.or.jp

緊急輸入制限(セーフガード)とはある商品の輸入量が増加した場合に、その商品の関税を一時的に引き上げる政策だ。この政策を支持する人々は、安い外国製品が日本経済を破壊することを防ぐのだ、という。

 ちょっと僕の寓話に付き合ってもらいたい。主人公は日本国内の酪農家だ。彼は品種改良によって、今までの半分の時間と手間、半分の餌で育つ牛を発明した! 彼が実現した夢の発明によって、牛の生産性は2倍になったことになる。

 この発明のおかげで、日本の人々は牛肉を今までの半分の価格で買えるようになった。人々はお腹いっぱい牛肉が食べられるようになったし、あるいは余ったお金を他のことに使うこともできるようになった。牛を品種改良した酪農家を、人々は国民的英雄として讃えた。

 ところがあるとき、真実が明らかになってしまう。酪農家は品種改良などしていなかった。彼は単に外国から、牛肉を日本国内の半分の価格で輸入していただけだった! それを品種改良だと偽って、国内の市場に流していたのだ。

 さて、考えて欲しい。彼はこのことによって、国民的英雄から、外国製品を国内に引き入れた売国者になってしまうだろうか? でも、彼の「品種改良」によって、日本の人々が豊かな生活を享受していたのは事実じゃないだろうか? 彼に「品種改良」をやめさせることが、どうして日本の人々を豊かにできるだろうか? 嘘をついていたことの他に、いったい彼に何の落ち度があるだろうか?

Amazonが77%減益でも成長できるのはどうしてか

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……純利益は77%減の1億9700万ドル(1株当たり40セント)と大きく減少した。新技術やコンテンツ開発のための投資やマーケティングコストの増加が響いた。

Amazonの2017Q2(4-6)決算は営業利益で前年同期比51%減、純利益で77%減だった。これはAmazonの成長を損なう結果なのだろうか?

 僕らはAmazonが巨額の研究開発をおこなっていることに注意する必要がある。Q2における営業費用のうち、研究開発費*1は55億ドル。営業収益の14.6%に相当する。次のランキング*2は僕らにAmazonの研究開発費の凄まじさを教えてくれる。

2016

Rank

Company

R&D

Spend ($Bn)*

1

Volkswagen

13.2

2

Samsung

12.7

3

Amazon

12.5

4

Alphabet

12.3

5

Intel Co

12.1

6

Microsoft

12

7

Roche

10

8

Novartis

9.5

9

Johnson & Johnson

9

10

Toyota

8.8

  さてここに営業利益が等しい2つの企業がある。一方の営業費用は巨額の研究開発費を含んでいて、もう一方の営業費用はすべて販管費だ。他の条件がイーブンなら、果たしてどちらの企業の価値がより高いだろうか? このとき利益は企業の収益性を適切に反映しているだろうか?

 問題は会計基準上、研究開発支出が即時費用化されてしまうことにある。*3研究開発は企業の将来の収益拡大をもたらす無形資産への投資だと考えることができる。だからこそ企業は当期の収益に直結しない研究開発費を支出するのだ。

 けれど、工場建設などの有形の投資が当然に資産計上されるのに対し、無形投資が資産計上できる場面は極めて限定されている。*4企業活動における研究開発の重要性はますます高まっているというのに!

 無形投資の軽視によって、会計利益情報の有用性は著しく損なわれてきた。*5仮に研究開発費を全額資産計上していた場合、Amazonの2017Q2決算は営業利益で19.5%、純利益で21%の増益となる。*6

 ある支出が資産なのか一時の費用なのかは本来的にはそれが将来の収益獲得に結びつくかに懸かっていて、会計基準の取り決めとは関係がない。*7企業の価値を評価するには費用化されたもののなかに資産計上すべきものがないか、また逆に資産計上されたもののなかに費用処理すべきものがないかを投資家が判断していく必要がある。

*1:Technology and content

*2:2016: Top 20 R&D Spenders

*3:米国会計基準、日本基準ともに研究開発費は即時費用化が義務付けられている。IFRSは例外で、一部の開発費が資産化される。

*4:その主な論拠は無形投資の収益性は確実視できないからというものだが、有形の投資だってそれは同じはずだ。

*5:LEV&GU"The End of Accounting"は会計利益の株価説明力が低下してきた理由として無形投資の拡大を指摘している。

*6:ただしこれは過去に無形資産に計上されていたこととなる研究開発の償却費を無視した簡便的な計算だ。

*7:今回の減益を受けてAmazonの株価は下落したが、上で議論したことを考えればやや過剰反応ではないかと僕には思われる。

見えるものと見えぬもの

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機会費用は経済学における最重要概念の候補だろう。バスティアという経済学者*1は、見えるものだけでなく見えぬものを見なければならない、という箴言機会費用を表現した。

 僕の先日の記事も「割れた窓ガラス」というバスティアの寓話を意識して書いたものだ。上でリンクを貼った動画はこの寓話について簡潔に説明している。

 

以下動画の翻訳(50秒あたりから)

 

自然災害や、戦争や、テロは経済にとってよいことだと、誰かが言うのを聞いたことがないか? 第二次世界大戦によって合衆国は大恐慌から救われたのだと、誰かが言うのを聞いたことがないか?

 この種の考えを聞いたなら、あなたはフレデリックバスティア(1801-1850)によく耳を傾ける必要がある。彼は割れた窓ガラスというよく知られたストーリーで、なぜ破壊が豊かさを生まないのかを説明した。

 ストーリーは次のようなものだ。あなたの町で、小さな子供が近所のパン屋の窓ガラスを割ってしまったのを想像してほしい。普通の両親は、ばかなことをしやがって、と子供を叱りつける。

 しかし、こんにち、結構な数の人々が賛成しているとみえる経済上の見解では、この子供はヒーローとして賞賛される。どうしてか? その子はガラス職人の仕事を作り出すことで町の経済を刺激したからだ。

 このような見解は見えないものに注意を払っていない、とバスティアは批判した。もし窓ガラスが壊されなければ、パン屋は窓ガラスを直す代わりに、例えばスーツを買うためにお金を使っただろう。

 それはスーツの仕立て屋の仕事を作り出し、町はより豊かになったはずだ。なぜなら窓ガラスは壊れていないし、そのうえ新しいスーツが作り出されるからだ。窓ガラスが壊れた場合には、ただ窓ガラスが元通りになるだけだ。作られていたはずのスーツは失われてしまう。

 そのため、窓ガラスを割ることは町を豊かにせず、貧しくする。だから、地震やテロが起きてラッキーだとか、第二次世界大戦大恐慌を終わらせたとか誰かが言うのを聞いたら、バスティアの割れた窓ガラスの話を思い出して欲しい。

*1:当時は今のような経済学はなかったので、政治思想家とされることも多い。

破壊と経済 割れたスマホ画面について

headlines.yahoo.co.jp

画面が割れたことによるスマホ価格の下落を経済損失とする上の記事に対して、そのコメント欄で、スマホの修理に対する需要が創出されるのだから経済効果はプラスなのではないか、との意見があった。

 もし後者の意見が正しいなら、僕らはスマホを壊せば壊すほど豊かになれる。スマホを壊した僕らは、修理屋に1万円を払って直してもらう。それはスマホの修理屋に1万円分のプラスの経済効果をもたらしたのだ……。

 でもその1万円は、スマホを壊さなければ別のことに使えた1万円だ。その1万円で新しい服が買えたかもしれないし、旅行に行けたかもしれないし、将来のために貯金することもできた。僕らはスマホを壊してしまうことで、その1万円で一番やりたかったことを我慢して、修理のためにお金を使わざるをえなくなった。

 スマホを壊したことで僕らが手に入れたものは、スマホ画面のひびとその修理サービスだ。スマホを壊したことで失ったものは、修理サービスの代わりに僕らが本当に手に入れたかったものだ。前者の価値が後者の価値より高いことは考えられない。

 経済効果を考えるときは、お金が使われた先だけじゃなく、使われなかった先をも考えなければいけない。戦争や災害が経済を良くするという俗説も同じ誤りを犯している。戦争が雇用を創出するというけど、もし戦争がなければ、僕らは兵隊を養うお金で、もっと欲しかった別のものを買うことができた。

 経済が豊かになるというのは、僕らが僕らのために、より欲しいと思う財やサービスを手にできることだ。スマホの画面が壊れれば僕らの社会から財は減る。戦争や災害ならなおさらだ。破壊が僕らの経済社会を豊かにすることは決してない。

独占に対する規制はなぜ有害なのか

gigazine.net

アメリカの民主党は政府当局に対し、Amazonとホールフーズの合併により、特に他の商店や商品の購買方法に選択肢がないケースにおいて、消費者の選択が限定されることがないか調査を求めました。これは、合併による企業の独占が強まってしまうことを懸念したもので、消費者の不利益が生じることを危惧しての動きです。

 企業にも最適な規模というものがある。合併にメリットがある限り企業は自ら合併するし、巨大な規模を維持することが非効率になれば放っておいても分裂する。だから、この企業は大きすぎるから分割しろとか、小さすぎるから合併しろとか規制当局が口を出すのは益のないことだ。

 市場を制覇した企業は不当に価格を釣り上げて、消費者から搾取するんじゃないか、という疑問があるかもしれない。いわゆる独占の問題だ。でも実のところ、経済学の入門書に出てくるような独占の問題は、自由な市場では見られないものだ。

 というのは、多くの入門書で見るような独占のモデルは新規参入が存在しない状況を仮定している。しかし現実には、独占企業が価格を釣り上げれば、もっと安く商品を供給するライバル企業の新規参入を招くことになる。

 だから独占の問題というのは、新規参入が政府によって規制されていたり、新規参入に莫大な初期投資が必要なインフラ産業であったりしないと起こりえない。Amazonが無謀な値上げに踏み切れば僕らは楽天を使うだけのことだ。

 それに企業の競争というのは、入門書のモデルのように販売数量や価格を操作するだけものものではない。実際に起こっているのはイノベーションの競争だ。AmazonはPrime NowやDash Buttonといった新しい概念を生み出し、また配送ロボットやドローンなどの新しい技術を導入することで自らを強化してきた。

 そもそもAmazonが始まった当時、インターネット販売という業態はそれ自体が革新的な発明だった。それはいまや実店舗をもつ巨大小売りチェーンを脅かしている。インターネットが現れる以前には想像できなかったことだろう。競争とはこのようにダイナミックなものであり、規模の面で市場を制覇したからといって胡座をかき続けることはできない。

 自由な市場においてただ1つの企業が覇者として君臨しているなら、それは単にその企業が圧倒的に消費者に選ばれていることを示している。政府がそれを規制すれば、僕ら消費者は豊かで便利な生活を奪われることになる。

なぜ政府が資格取得を補助してはいけないのか

itpro.nikkeibp.co.jp

IT関連の資格取得講座を受講する場合、2017年10月以降、費用の補助を受けられるケースが増える。「教育訓練給付制度」の「専門実践教育訓練」対象講座の指定要件が緩和されるからだ。これによって、指定講座が拡大すると見込まれる。

 たとい素晴らしい投資案件であっても、見境なく規模を拡大すれば採算割れを免れない。どんな投資案件にも、それ以上規模を拡大すべきではない適切な投資水準というものがある。

 資格を取得することは、技能やその証明という無形資産への投資だといえる。*1どんな投資にも言えることだけど、それは追加的な投資のリターンがコストを上回っている限りにおいてのみ価値を生みだす。

 自らの負担で資格の取得を目指す場合、追加的な投資のリターンがコストを下回るなら、彼はそれ以上の投資を行わない。けれど政府が資格取得を補助する場合、自己負担が小さくなるために、彼は補助金がなかったなら目指さなかったはずの資格までをも取得する。

 これはまさにこの政策の目的であり、これによって彼の個人的な給料は増加するかもしれない。しかしその裏では、補助金の原資である税金や社会保険を通して、投資コストの一部が他の人々に押し付けられている。

 コストの押し付けができることで、資格への投資は必然的に適切な投資水準を超えて過大になる。そのとき僕らの社会は全体として、追加的なリターンを上回るコストを負担する。だから資格取得に対する補助金は、それがなかった場合よりも、僕らの経済社会を必ず貧しくしてしまう。

*1:独占資格の場合には別の問題がある。これはいずれ論じるだろう。

混雑、価格、公平性

www.yomiuri.co.jp

京都市がバスの混雑を解決するために一日乗車券の値上げを決めたそうだ。同じように高速道路の渋滞や満員電車を解決するのは難しくない。混雑している時間帯の利用料金をそれが解消するまで上げればいい。*1

 時間によって利用料金が変わるのは不公平だ、と思う向きもあるかもしれない。貧乏人は朝の電車に乗るなということか、と。時と場所によって同じ商品に異なる値段が付くことは、人間の直感的な正義に反するところがあるようだ。災害地で食料の価格が高騰するときなども、販売者は激しい非難を浴びることがある。

 けれど高価格は品薄の結果であって原因ではない。災害地での値上げを禁止しても食料が足りていないという事実は変わらない。朝の電車の利用料金を上げなければ、満員電車は、それに並び、耐える余裕のある人々だけのものになる。それは貧しい人々を助けるかもしれないが、満員電車に耐えられない体の弱い人々を締め出してしまう。貧富の公平性のために価格を硬直的に規制するとき、僕らは別の公平性を犠牲にしている。

 価格が伸縮的に動くところでは品不足は解消する方に向かう。災害地で食料の価格が高騰すれば、機を見るに敏な商人たちは他の地域からそれを運んでくるだろう。電車のようなインフラではこのようなメカニズムは成り立たないと思われるかもしれないが、電車は自家用車、バス、タクシー、自転車、職場の近くに住むという選択肢、さらにはまだ見ぬ革新的な技術やアイデア*2との競争に常に晒されている。公共セクターが満員電車の利用料金を不自然に低く維持することは、これらの民業を圧迫し、輸送手段の品不足を解決から遠ざけることになる。

 どうしても貧しい人々のにとっての輸送手段を確保する必要があれば、単に所得を移転するか、交通バウチャー*3を配布することによって対応できる。価格の伸縮性を損なえば、民間に分散する知識の活用と希少な資源の配分という市場の主要な機能は死んでしまう。

*1:これはピークロードプライシングと呼ばれている。

*2:近年ではUberがその一つだっただろう。

*3:とはいえ、バウチャーは使途が限定されるために、政策決定者が予想しない革新的なアイデアの発展を阻害する恐れはある。