破壊と経済 割れたスマホ画面について

headlines.yahoo.co.jp

画面が割れたことによるスマホ価格の下落を経済損失とする上の記事に対して、そのコメント欄で、スマホの修理に対する需要が創出されるのだから経済効果はプラスなのではないか、との意見があった。

 もし後者の意見が正しいなら、僕らはスマホを壊せば壊すほど豊かになれる。スマホを壊した僕らは、修理屋に1万円を払って直してもらう。それはスマホの修理屋に1万円分のプラスの経済効果をもたらしたのだ……。

 でもその1万円は、スマホを壊さなければ別のことに使えた1万円だ。その1万円で新しい服が買えたかもしれないし、旅行に行けたかもしれないし、将来のために貯金することもできた。僕らはスマホを壊してしまうことで、その1万円で一番やりたかったことを我慢して、修理のためにお金を使わざるをえなくなった。

 スマホを壊したことで僕らが手に入れたものは、スマホ画面のひびとその修理サービスだ。スマホを壊したことで失ったものは、修理サービスの代わりに僕らが本当に手に入れたかったものだ。前者の価値が後者の価値より高いことは考えられない。

 経済効果を考えるときは、お金が使われた先だけじゃなく、使われなかった先をも考えなければいけない。戦争や災害が経済を良くするという俗説も同じ誤りを犯している。戦争が雇用を創出するというけど、もし戦争がなければ、僕らは兵隊を養うお金で、もっと欲しかった別のものを買うことができた。

 経済が豊かになるというのは、僕らが僕らのために、より欲しいと思う財やサービスを手にできることだ。スマホの画面が壊れれば僕らの社会から財は減る。戦争や災害ならなおさらだ。破壊が僕らの経済社会を豊かにすることは決してない。