企業には本業とは別に果たすべき社会貢献がある、という考えは、市場経済に対する大きな誤解に基づいている。
市場経済が存在しない、小さな、原始的な村を考えよう。この村には商品を売買する市場がなく、貨幣がなく、価格もない。その代わりこの村では村長が各メンバーに、米作り担当、木こり担当、道路整備担当、草鞋作り担当……という役職を割り振っている。
この村では、社会に対して自分の責任を果たすこととは、自分が担当している役職を全うすることだろう。たとえば米作り担当であれば、稲を育てて収穫し、おいしいお米を他の村人に配ることが、すなわち村の社会に貢献することそのものだ。
次に、この村に市場経済の仕組みが導入された。人々は今や、自分の生産した商品を村の市場で売却することで生計を立てる。かつて米作り担当だった者は米農家になり、道路整備担当は土建会社となった。
さて、米作り担当が米農家という個人事業主になったからといって、彼は突然、米を作っているだけでは社会貢献をしていないことになるだろうか。道路整備担当が土建会社になったからとって、彼の果たすべき社会的責任は、道路を整備することのほかに増えるだろうか。彼らは市場に米や道路整備サービスを供給することで、今まで通り社会的責任を果たしているはずだ。
要するに市場経済は社会的分業を達成するための仕組みの一種で、市場に参加すること自体が社会貢献に直結している。企業は自分の利益を追求しているだけじゃないか、だって? その通りだ。米農家は自分の儲けのために米を売る。他の人々が買いたいと思えるお米を作ったときだけ、彼は儲けることができる。ここに矛盾はない。*1
トヨタは素晴らしく社会に貢献している企業だ。でもそれは、トヨタが地球環境や災害地支援のために多額の支出をしているからってわけじゃない。高品質な車をリーズナブルな価格で市場に提供し続けている、その一点だけを以ても、トヨタの社会貢献は計り知れない。*2