価格理論と駒場の思い出

昔授業を受けた先生が教科書を出したのを本屋で偶然知った。学部二年生の夏、初めて履修した経済学科目だった。社会科学の方法に疑念を持っていた僕は、集合論と解析学を使った演繹的な議論に強く興奮を覚えた。

 例えば経済学の仮定する個人は「合理的経済人」などとバカにされるけど、実のところそれは「可能な選択肢を好ましい順番に並べることができ、そのときに選択肢のループが生じない」という程度の仮定でしかない。

 その仮定を認めれば、ほぼそれだけで個人の選好を関数として表現することが正当化できてしまう。個人の行動は関数の最適化として表現され、市場の需給や均衡が常に仮定を明確にしながら簡潔な数式で描き出される。

 経済ニュースを読むのが目的の人にはGDPも物価指数も出てこない議論は退屈かもしれないけど、経済学の中心は何と言っても価格理論であり、これを学ばずに経済学を体系的に理解することは考えられない。

 価格理論を学び始めた当時、僕がいちばん読み込んだのは奥野先生や武隈先生の教科書ではなく、駒場の生協で買った簡易製本のレジュメだった。明快・簡潔、それでいて論理の質を犠牲にしていないのが良かった。

 僕が買ったレジュメはとっくにボロボロになってどこかへやってしまったけれど。最近本屋で見かけた、冒頭の竹野先生の教科書はそのころのレジュメがもとになっているようだ。

 今の僕は少し考えが変わって、ワルラス的な価格理論では抜け落ちてしまう調整プロセスとしての市場をもっと大事にしたいと思っている。それでも体系的な社会科学を可能にした価格理論の視座は不滅に違いないと思う。