恵方巻きは合理的に廃棄されているかもしれない

恵方巻きの大量廃棄が問題視されているようだ。それが問題視されるのは、農家や調理師の労働が無駄になっているように思われるからだろう。またそのような資源の無駄使いに、何か市場経済の失敗を見たような気がするからだろう。

 とはいえ、無駄に材料を仕入れたり料理師を働かせたりすることは、恵方巻きの生産者にとってもコストである。恵方巻きの生産者だって追加的なコストをかけることなく過剰生産が減らせるなら、減らしたいに決まっている。

 言い換えれば、過剰生産が減らないのは、需要予測の精度を高めることがそれ自体コストを必要とするからだ。例えば500人時間*1を市場調査に投入すれば恵方巻きの過剰生産が10000本減らせるとする。

 一方、恵方巻き10000本の生産には農家300時間の労働と調理師100時間の労働が必要だとする。すべての労働力の時給を1000円とすれば、生産者は恵方巻き10000本を生産するために、300000円で材料を仕入れ、100000円で調理する。

 生産者はこの合計400000円と、市場調査のためのコスト500000円を比較し、市場調査を行わないと判断する。この判断は生産者自身にとってだけでなく、資源の効率的利用の意味で、社会的にも合理的である。

 もし市場調査を行うなら、400人時間の資源を節約するために、500人時間の資源を犠牲にすることになるからだ。無駄になったと思われた恵方巻きは、より大きな市場調査のコストを節約するために必要なものだったのだ。

 恵方巻きの廃棄がこのようなものであれば、それは市場の失敗を意味せず、政府の規制によって是正できるものでもない。*2生産者が500人時間を要する市場調査が、規制当局ならより低コストで実施できると考える根拠は何もない。*3

*1:以下簡単化のために生産要素は労働のみとしているが、資本財を加えても話は変わらない。

*2:現実の恵方巻きの廃棄が、上に述べたのとは全然別の理由で生じている可能性はなおあり得る。この記事は恵方巻きの廃棄が合理的に説明のつかないものではないという一例を示すことで、単に恵方巻きの生産を規制すれば良いとか、恵方巻きの生産者がバカだからこのような問題が起こるのだというような安直な発想への警鐘を鳴らすものである。

*3:より一般に、情報が非対称だとか不完全な状況は定義によって完全競争市場ではないが、だからといって市場に介入することで資源配分を改善できるかは別の問題である。上の例で情報が不完全なのは、もともと情報を手に入れること自体にコストがかかるからであり、政府が出てきたところでこのコストを消し去ることはできない。初等的な経済学の教科書では市場に問題があるときには政府が出てきて問題を解決することになっているが、あれは現実の政府ではなくて、仮にかくかくの能力を持つ政府を想定すれば……という、モデルの示す問題に理論的な解決を与えるためのデウス・エクス・マキーナなのである。