市場と政府と貧困の神話

神話がある。かつて自由放任の市場の中で人々は貧困に喘いでいたが、政府部門の拡大が市場の猛威を食い止め、人々を貧困から解放したという神話だ。これを神話と呼ぶのは話がまるごと引っくり返っているからだ。神話は出来事の後から作られるが、その出来事は初めから神の御業であったことにされる。

 かつて人々の暮らしが今より苦しかったのは、例えば製糸工場の女工の日記に表れている。けれどもその事実から、即座に搾取や市場の失敗を連想するのは誤っている。彼ら彼女らの暮らしが今よりも苦しかったのは、当時は今よりも生産性が遥かに低かったのだから当たり前である。

 大昔、人口の大部分が農地や漁村に縛り付けられていた。総掛かりで食料を生産しなければ生命が維持できなかったからだ。しかし分業や技術革新がより少ない人口で食料を生産することを可能にした。労働力の余剰が生まれ、それは商業部門や工業部門に供給された。そこでも企業家の活動が生産性を絶え間なく向上させ、さらに多様な財やサービスを生産することができるようになった。

 生産性の向上なしに政府部門を拡大すれば、その分民間部門の生産活動は圧迫されざるを得ない。巨大な政府部門が維持できるのは、人々の努力と市場の調整が生産性を改善し続けてきたからである。生産性の改善が貧困を一掃し、労働力に余裕が生まれたからこそ、僕らの経済は非生産的な部門の肥大化を許す*1贅沢ができている。その逆ではない。

*1:許した憶えもないけれど。