のれんの償却はなぜどうでもいい問題なのか

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日本基準ではのれんは毎期一定額が規則的に償却されるのに対し、IFRSではのれんの償却は行われない。のれんの価値が簿価を下回ったときに減損するのはどちらの基準も同じである。

 今、IFRSでものれんの償却の導入を検討する動きがあるようだ。のれんの価値が維持されるのは稀であり、どうせ減損することになるのだから、はじめから規則的に償却してしまえ、ということらしい。

 僕の周りの同業者にも、のれんはすぐに減損されるという経験則からのれんの規則償却を支持する人が少なからずいるみたいだ。が、僕の考えは違う。のれんの償却は情報として意味がなく、したがってそれを償却するかどうかというのは全然どうでもいい問題であり、仮に株価がそれに反応するとしてもそれは投資家の錯覚である。なぜか?

 財務報告の目的は投資家の意思決定に資する情報を提供することである。投資家に追加的な情報を与えない会計ルールには意味が無い。今、のれんを償却しない会計ルールが採用されているとする。この場合でも、のれんの取得日と当初測定額は開示されるのだから、規則償却したければ投資家の側でそのように調整することは容易である。これは、のれんを償却する会計ルールによって与えられる情報を、投資家がすでに知っていることを意味している。つまり、のれんの償却のルール化は投資家に追加的な情報を与えない。よって、のれんの償却ルールは無意味である。

 のれんの償却が唯一追加的な情報を与える可能性があるのは耐用年数だ。のれんの当初測定額を所与としたとき、毎期の償却金額を決める変数はこれしかないからだ。ところが、これは現場の実務に触れた人なら誰でも知っていることだろうが、のれんの耐用年数はで決まっている。20年はいくらなんでも長すぎるだろう、同業のあそこは5年でやってるらしい、10年先までは経営計画が作ってあるからまあいいだろう、くらいのノリである。のれんの真の耐用年数なんて経営者だって知らない。だから後々減損するのだ。

 よりよい会計ルールとは経営者の判断の余地がより少ないルールだ、という考え方は、会計ルールの存在意義を根本的に見誤っている。ただ一種類の会計処理が機械的に適用されるほかないなら、その会計処理は情報として価値を持つことができない。のれんの減損が情報として価値を持つのは、それが減損されないこともありえたからだ。毎期定額で償却されるに決まっているものの償却金額を開示することには意味が無い。だからのれんの償却ルールを導入するかどうかが何か重大な問題であるかのように議論されていることは僕には全く奇妙なことだ。のれんを償却するかどうかは、そのように調整したほうが企業価値をよりよく推定できるかどうかという投資家の側の問題であって、会計ルールの側の問題ではない。