時価会計有害説

 Fischer BlackがMagic in earningsという論文で時価会計について面白いことを述べていたのを見つけたので一部訳出する。 

証券アナリストは利益について明白な考えを持っている。彼らは標準的なPERを乗ずることで価値の推定が得られるような利益数値を求めているのだ。彼らはPERが何であるべきかを明らかにするために働きたくないので、それが例えば常に10であれば、彼らにとって明らかに最もうれしいことである。従って彼らは、単に10倍すれば企業価値の推定が得られるような利益数値を与える会計プロセスを好むだろう。

(中略)

 他方で経済学者が普通述べるところでは、利益は価値の変化に関係すべきであるといい、この見解は最近会計士の間で受け入れられつつある。通貨価値の変化による利得・損失の全額が損益計算書において開示されるべきであるというここ数年の動きは、価値についての経済学者の見解が受け入れられていることを示している。しかしながらこの見解に基づけば、企業の利益数値はより不規則で、企業の状態の測定値としてより役に立たないものになる。もし10を乗ずることで価値の推定が得られるような利益数値を求めるのであれば、その会計期間の通貨価値の変動による利得・損失を利益数値に全額で含めてはいけないのだ。

例えば企業が保有する資産の価値が2億円だけ下落したとする。これは明らかに企業価値を2億円だけ下落させる。しかしこの2億円の損失を全て純損益に反映させた場合、PERが10であれば、企業価値の下落は20億円に過大評価される。

 上の引用では通貨の評価替えについて述べているが、同じ理屈が有価証券の期末評価や減損損失についても言える。つまりこの理屈によれば減損損失というものは存在してはならないか、PLを経由せずにOCIに直入し、PL上は通常の減価償却を継続すべきことになる。