貿易収支を気にすることが不毛である根本的な理由は

貿易収支を気にすることが不毛である根本的な理由は、それが個々の経済主体の取引を特定の恣意的な仕方で集計した結果として表れる統計量にすぎないからだろう。

 いま、一定の領域を持つ「世界」の中に無数の経済主体が存在している。各々の経済主体は互いに商品を売買する。簡単化のため全ての売買は信用取引で行われるとする。

 たとえば僕が誰かに2000万円で家を建ててもらうと、僕はその誰かに対して2000万円の債務を負う。また僕が誰かに100万円で車を売ると、僕はその誰かに対して100万円の債権を手にする。

 なお僕が住宅ローンを負うことが良いことかは僕の人生計画次第であり、他人には関係がない。また僕が車を手放すことが良いことかも僕の人生計画次第であり、隣のタナカさんには全然どうでも良いことである。

 売買の結果として経済主体には互いに債権債務関係が生じる。「世界」中の全ての債権債務を相殺すれば当然にゼロである。ある一定期間(たとえば1年間)の債権の増分と債務の増分を相殺しても、やはり当然にゼロである。

 ここで「世界」に1本の(別に何本でもいいのだけど)線を引き、その領域を「東」と「西」に区分しよう。そして各領域ごとに、領域内の債権債務を相殺すれば、どちらかには純債権が残り、もう一方に同額の純債務が残る。

 一定期間の純債権の増分(または純債務の減分)はその領域の貿易収支を意味している。「東」領域内の1年間の債権債務増減を相殺した結果として純債権増が生じていれば「東」は貿易黒字国であり、「西」は貿易赤字国である。

  さて、それが増えたり減ったりしたからといって、何なのだろう? 僕の住宅ローンは「西」の貿易赤字の一因かもしれないが、僕がそれを払えるなら問題ないし、払えなかったとしても「西」に住むの他の人に迷惑はかからない。

 貿易黒字や貿易赤字と言ったところで、その中身は個々の経済主体の(広い意味での)債権債務増減の積上げである。それは個々の経済主体の問題であって、「東」や「西」を主語にして論じても得るものがない。