移籍制限の禁止がいかにして芸能人の機会を奪うか

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伝統的な製造業なら、例えば工場を建設することが投資になる。それによって構築された資産の価値は、銀行などの債権者が持っていく部分を除けば、投資を行った企業自身の*1ものだ。

 工員がライバル他社に引き抜かれても、当然だけど、その工員が工場の設備を他社に持っていってしまったりはしない。仮にそんなことが認められれば、企業は自社の資金で構築した資産を、工員にタダでくれてやるリスクに常に晒されることになる。それは企業による投資を減らし、工員の賃金や雇用を減らすだろう。

 ところが、現実に、そのようなリスクに晒されてしまう業種が存在する。芸能事務所がそれだ。芸能事務所にとっての主な投資は、芸能人の技能を高めるためのレッスン料や、知名度を高めるための広告宣伝費だ。*2

 芸能事務所が自社の資金で芸能人に技能や知名度を与えても、工場建設の場合と違って、芸能人が移籍すれば、それらの資産はライバル他社に持って行かれてしまう。そのリスクを念頭に置いて投資決定をせざるをえない芸能事務所は、リスクの分だけ芸能人に支払う報酬を割り引くか、芸能人に対する投資を減らすことになる。

 ここで移籍制限規定を結ぶことができることは、芸能事務所と芸能人の双方にとって利益になる。芸能事務所は、移籍のリスクを考えれば投資できなかった芸能人にもレッスンや広告宣伝を与えることができるようになるし、芸能人は、その規定を飲まなければ得られなかった技能や知名度を装備することができるからだ。*3

 移籍制限規定を結ぶことが法律や行政によって禁止されるなら、芸能事務所は芸能人に対する投資を減らす。芸能人の報酬は減り、あるいは芸能人として活躍できる機会自体が減ることになる。

 投資や報酬、雇用に影響することなく移籍制限規定だけを禁止できると考えているなら、それはひどく軽率なことだ。善意の政策が必ずしも善き結果をもたらさないことを僕らは理解する必要がある。

*1:だから究極的には株主の。

*2:これらは現行の会計基準上、即時費用化されるが、将来にわたる収益に対応するという意味で資産性がある。

*3:芸能人が移籍禁止規定を飲みたくなければ、それも自由だ。大事なのは双方の自発的合意によってリスク負担が決定できることにある。