生産性の向上が飢餓をもたらすことはできない

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上の記事はアフリカ諸国の飢餓の原因を米国などからの安価な輸入食料に求めている。安価な輸入品との競争に負けた自国の農業が立ち行かなくなり、他に働き口もないので飢餓になったのだという。

 本当に? だって自国の農業を駆逐するほど膨大で安価な食料が外国から流入しているのなら、つまり外国がそれを売ってくれていて、自国がそれを買えているのなら、それを食べればいいのだから飢餓にはならないじゃないですか。反対に、もし外国が自国に安価な食料を売ってくれないのなら、今まで通り自国で食料の生産を続けるだけなので、(自国には本来飢餓にならないだけの生産力があったという想定ですから)やはり飢餓にはならないじゃないですか。明らかに、何か見落としがある。

モデルで考える

単純なモデルを考えよう。 世界にはA、Bの2カ国のみが存在し、それぞれ独自の通貨(AD, BD)を使用している。財は1種類(食料)のみ。生産要素は労働のみで資本財はなし。生産技術は規模に関して収穫一定。A国は1人時の投入で1単位の食料を算出するのに対し、B国は同じ投入で2単位の食料を産出する(要するにB国の生産性はA国の2倍とする)。*1

 はじめ、A国は閉鎖経済(=輸出入なし)とする。A国人は1時間の労働で1単位の食料を産出し、これを国内市場で売却して例えば100ADの所得を得、その所得で1単位の食料を購入し消費する。

 ここでA国が開国し、B国から食料の輸入を開始したとしよう。当初、輸入食料1単位の価格は1BD=80ADだったとする。さて、A国産の食料は、より安いB国産の食料に駆逐されてしまうだろうか?

 今、B国産の食料価格がA国のそれよりも安いことから、A国では食料生産が行われず、B国からA国に一方的に食料が流入する。ところでA国から輸入すべき生産物が存在しないので、B国人は輸出の代金にADを受け取ったところでまるで使い道がない。ということは、ADを受け取ったB国人は、それを為替市場で売却してBDを購入する。あるいはA国人は輸入の支払のために、やはり為替市場でADを売却しBDを購入する。

 つまりB国からA国に一方的に食料が流入し続けるならば、その裏側で、AD安BD高が一方的に進行せざるを得ないわけだ。反対にB国の食料価格の方が高ければ逆のプロセスが進行するから、結局、食料1単位=100AD=1BDで均衡する。

 均衡においてA国人は1時間の労働で1単位の食料を産出し、これを市場で売却して100AD=1BDの所得を得、その所得で1単位の食料を購入し消費する。A国人の生活水準は貿易開始前と全く変わっていない。

 ついでにB国人の方を見ると、1時間の労働で2単位の食料を産出し、これを市場で売却して2BD=200ADの所得を得、その所得で2単位の食料を購入し消費することになる。A国との生活水準の差は生産技術の差から直接に帰結している。

冒頭の話は何を間違えていたのか

冒頭の話の問題は今や明らかになった。それは国際的な価格決定メカニズムを考慮していなかったことにある。為替レートを無視して「安い輸入財」を外生的に仮定することなんて出来やしないのだ。

 さてこのモデルは単純だが重要な含意を与えてくれる。A国の生活水準は貿易開始前と比べて低下していない。貿易開始前にも後にも、A国人はただ自分が生産したのと同じだけの食料を消費する。B国人がどれだけ生産性を向上させようが、それによってA国人を絶対的な意味で貧困化させることはできない。A国が貧困国だとすれば、その原因には何よりもA国自身の絶対的な生産性の低さが疑われなければいけない。

 ついでにもうひとつ、このモデルは1財モデルだから比較優位は存在しない。貿易が基本的に無害であることを示すには比較優位を持ち出さなくても足りるわけだ。そして比較優位の原理が生じる多財モデルと異なり、この1財モデルではA国の生活水準は貿易前と比べて改善してもいない。これは貿易の利益が分業から生じることを示している。

*1:1財1生産要素なので生産性は 財の産出量/生産要素の投入量 によって定義される。