研究者が公金で養われることを当然だとする見解について

http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/mixingale/status/929004106462642176

「研究になぜ公金をつっこむのか」って意見があるみたいだから研究活動の成果を公金を支払って一括利用する仕組みをやめて全部逐一利用料をとりたてる仕組みに変えてみたらいいんじゃない。まず数学者が地主並みに儲かることになるだろう。アンチコモンズの悲劇で利用料は恐ろしい額に達するだろう。

 上は先日話題になっていたツイートだ。このような制度変更をした場合にアンチコモンズの悲劇が生じることに異論はない。けれど「研究になぜ公金をつっこむのか」の回答として当を得たものだとは思われない。

 アンチコモンズの悲劇が生じるのは供給者に独占を認めるからだ。むろん現行の法制度では学術的真理に知的財産権は認められない。*1上のツイートでは、学術的真理の発見者に強力な独占を認めるという現行制度とかけ離れた想定をした場合に、その利用が社会的に望ましい水準よりも過小になってしまう、ということが示されているにすぎない。*2何かがうまくいくことを示す場合にはその一例を挙げれば足りることもあるかもしれないが、うまくいかないことを示す場合に、うまくいかないに決まっている特定の一例を挙げられても仕方ない。

 もちろん上のツイートは、学術的真理に全く何の権利も認めない場合には、その私的供給が最適な形では行われないことを前提としたものだろう。つまりその場合には、コカコーラのレシピのように発見者が成果を秘匿してしまうか、それができなければ研究費用が回収できず十分な投資が行われないので、やはり学術的真理の供給は社会的に望ましい水準よりも過小になることが予想される。

 であれば、完全な独占と無権利の中間に適切な制度設計を探ろう、というのがあるべき議論のはずだ。実際、アンチコモンズの悲劇は他の知的財産についても生じうるが、例えば小説の供給が過小で困るという話は聞かない。 そこには一定の著作権が認められているが、他の小説への言及、トリックや人物造形などのアイデアの剽窃、世界観の拝借などに利用料がかかるといった話はないからだ。それが著作権の設計としてベストになっているかは分からないが、公金で小説家を養う場合よりはうまく機能していることだろう。

 いまひとつ別の論点だが、「研究になぜ公金をつっ込むのか」と述べる人の多くはそれを0円にしろと言っているのではなく、その具体的な対象と程度を問題にしているのではないか。なぜ支出の対象があちらの研究ではなくこちらの研究なのか。なぜ社会保障や防衛に予算を配分するのでなく研究なのか。なぜそれを納税者に返すのではないのか。納税者から強制的に資源を移転している以上、これらはすべて説明を要することだ。自分が公金で養われて当然であるかのような物言いを研究者が繰り返すほど、納税者の反発はより大きなものとなるだろう。

*1:ところで応用研究などでは知的財産権が認められる場合があり、実際それで稼いでいる研究機関や個人もあるはずだが、上の理屈で行けば公金で運営されている研究機関や個人は知的財産権を放棄すべきだろう。

*2:また、この想定のもとでは、たとえ公金で研究を助成したとしてもアンチコモンズの悲劇は生じる。