飲み会参加証券のプライシング

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所得フローx_0, x_1, x_2, ..., x_t, ...... を生じる資産の価値(時価)は割引率をiとして所得フローの割引現在価値Σ(x_t/(1+i)^t)となる。例えばxを企業のFCFと見ればこれはDCF法によって求められた企業価値そのものである。企業価値は債権者と株主が分配する。あるいははじめから株主に帰属する所得フローだけを考えれば株主価値(理論上の株式時価)を直接求めることもできる。これは割引配当モデルである。

 飲み会も同様に考えることができる。上記所得フローを飲み会から得られる便益と考えれば飲み会参加者に帰属する割引現在価値が算定される。それは飲み会の適正な参加料と解釈できる。多くの場合飲み会は会を決行するその場で集金して解散するからその便益フローは例えば(5000円, 0, 0, 0, ......)となり参加料は単に5000円となる。参加者の支出とサービス受領が同時であるという単純さゆえにかえって分かりにくく思えるかもしれないが、参加料の支払いから飲み会当日まで時間が空くケースではその間参加者に純資産が生じていることは簿記上も容易に理解される。

 飲み会参加者と株主との類似性をより一層明瞭にしたいなら参加料の受領時点で幹事が参加者にその権利を示す受領証を付与することをイメージすれば良い。すると先の飲み会参加料の計算は受領証の株価を算定していることに他ならない。株という言い方が気に入らなければ単に証券と言っても差し支えない。飲み会参加の権利に証券を見出すのは突飛に思われるかもしれないがゴルフ会員権などと大差ない。ゴルフ会員権と株式が似ているように飲み会の参加の権利証と株式も似ているのである。飲み会参加料の受領証は多くの場合譲渡困難と考えられるがある種のゴルフ会員権や閉鎖会社の株式もそれは同様である。

 飲み会参加者を株主になぞらえるのをなお躊躇われているかもしれないが、別にそれは構わない。両者が何において似ており、何において似ていないのかが理解されれば呼び方はどうでも良い。その上で呼び方が一致しないのは会計や経済ではなく単に比喩についての言語感覚の相違を示すに過ぎない。ここで強調したいのは経済をフローとその割引現在価値(ストック)で捉える見方である。それ以外を捨象するところまで抽象レベルを上げれば株主と飲み会の参加者との差は消失する。

 さらに所得フローを公共投資プロジェクトから生じる納税者の便益と見れば冒頭の式から当該公共投資プロジェクトの割引現在価値を算定することができる。これもまた突飛な発想ではなく実際に政策の現場で行われている費用便益分析そのものである。割引現在価値がプラスのとき(のみ)公共投資を実行すれば納税者に帰属する価値が増加する。これはDCF法で算定した価値がプラスの投資プロジェクト(のみ)を実行すれば株主価値が増加するのと同様の形式をしている。ただし抽象度を下げて考えれば株主は原則平等に扱われるのに対し公共投資プロジェクトでは特定の納税者が利されている可能性はある。それは別途考慮される必要がある。

 もっと話を広げるなら人々が生み出す労働サービスの価値フローを割り引けば人間自体を資産と考えてその価値を算定できる。他にもこの世には無数の有形無形の財・サービスのフローが存在する。現実にそれらすべてを書き下すことはできないが、それら一切のフローの割引現在価値として世の中に存在するすべての富の価値を記述するバランスシートが理論上存在する。これがアーヴィング・フィッシャーの洞察だった。そこに経済学と会計学の架橋がある。

*1:id:tamurin7 個別のコメントに直接応答するのは基本的に控えるようにしていますが、よくこのブログを見てくれているようなので特別にお返事します。