混雑、価格、公平性

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京都市がバスの混雑を解決するために一日乗車券の値上げを決めたそうだ。同じように高速道路の渋滞や満員電車を解決するのは難しくない。混雑している時間帯の利用料金をそれが解消するまで上げればいい。*1

 時間によって利用料金が変わるのは不公平だ、と思う向きもあるかもしれない。貧乏人は朝の電車に乗るなということか、と。時と場所によって同じ商品に異なる値段が付くことは、人間の直感的な正義に反するところがあるようだ。災害地で食料の価格が高騰するときなども、販売者は激しい非難を浴びることがある。

 けれど高価格は品薄の結果であって原因ではない。災害地での値上げを禁止しても食料が足りていないという事実は変わらない。朝の電車の利用料金を上げなければ、満員電車は、それに並び、耐える余裕のある人々だけのものになる。それは貧しい人々を助けるかもしれないが、満員電車に耐えられない体の弱い人々を締め出してしまう。貧富の公平性のために価格を硬直的に規制するとき、僕らは別の公平性を犠牲にしている。

 価格が伸縮的に動くところでは品不足は解消する方に向かう。災害地で食料の価格が高騰すれば、機を見るに敏な商人たちは他の地域からそれを運んでくるだろう。電車のようなインフラではこのようなメカニズムは成り立たないと思われるかもしれないが、電車は自家用車、バス、タクシー、自転車、職場の近くに住むという選択肢、さらにはまだ見ぬ革新的な技術やアイデア*2との競争に常に晒されている。公共セクターが満員電車の利用料金を不自然に低く維持することは、これらの民業を圧迫し、輸送手段の品不足を解決から遠ざけることになる。

 どうしても貧しい人々のにとっての輸送手段を確保する必要があれば、単に所得を移転するか、交通バウチャー*3を配布することによって対応できる。価格の伸縮性を損なえば、民間に分散する知識の活用と希少な資源の配分という市場の主要な機能は死んでしまう。

*1:これはピークロードプライシングと呼ばれている。

*2:近年ではUberがその一つだっただろう。

*3:とはいえ、バウチャーは使途が限定されるために、政策決定者が予想しない革新的なアイデアの発展を阻害する恐れはある。