「次の世代にツケを残すとの批判もあるが、誰でも専修学校や大学に行ける仕組みを作れば、将来収入を得て、税収が上がり、新たな富をつくっていくことにつながる。それは将来にツケを残すことにはならないとの議論もある」
高等教育は将来の収入増をもたらすから、将来の負担にならない……。このロジックを採用するなら、 高等教育の無償化自体が無用だといわなければいけない。
高等教育は、技能や知識などの人的資本を形成するための投資だといえる。その人的資本は、高等教育を受ける本人に収入の増加をもたらす。このとき、投資費用は高等教育を受ける本人に支出させるのが最適となる。なぜなら本人は将来の収入増が期待できる限り投資額を増やし、そうでなければ投資額を減らすので、投資のリターンが最大になるところで投資水準が決まるからだ。*1
これはトヨタが自動車工場を建てるのと同じ話だ。トヨタが自動車工場を建設することで、トヨタの収益が増加する。その費用は当然トヨタが負担すべきといえる。仮に税や国債で負担すれば、負担が転嫁できることでトヨタは過大な投資を行うだろうし、また補助されなかった他の支出とのあいだで公平を欠くからだ。
首相は教育国債について「資産を次の世代に残せば、それは会社が投資するようなものだ」と説明した。
僕は首相のこの言葉には全く同意できる。トヨタが自動車工場を建てるのと、人々が高等教育を受けるのとでは、有形の資産が残るか、人的資本という無形の資産が残るかという違いがあるに過ぎない。だからこそ、この理由で高等教育の無償化を正当化することはできない。*2