せどりはなぜ正義なのか

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どういうわけだか、せどりは嫌われ者らしい。モノを右から左に移すだけなんて虚業ということだろうか。

 ある本が市場Aでは2000円で取引されていて、市場Bでは同じ本が500円で取引されている。まず考えなきゃならないのは、なぜこのような価格差が存在するのか、ということだ。

 消費者が両方の市場での価格を知っているなら、当然、市場Bで本を買う。*1需要が集中する結果として、市場Aでの価格は低下し、市場Bでは上昇する。この過程は、2つの市場の価格が等しくなるまで続く。

 価格差が生じるのは、市場Aの消費者は、自分の欲しい本が市場Bではより容易に手に入ることを知らないからだ。価格差に気づいたせどり屋は利ざやを得るために市場Bで本を仕入れ、市場Aで販売する。せどり屋のこのような行動によって本が市場Bから市場Aに移動し、2つの市場の価格差は縮まっていく。

 このとき、取引に関わったすべての人々が得をしていることに気をつけて欲しい。市場Bの販売者は売りたい価格で本が売れたし、市場Aの消費者は買いたい価格で本が買えた。そしてこのように、売り手も買い手も納得して取引が成立したときにのみ、せどり屋は利ざやを稼ぐことができる。

 市場Bで安く買えたはずの本を、市場Aの消費者は高く掴まされてしまったじゃないか、などとは言わないで欲しい。市場Bでの方が安く買えるという事実を、消費者は知らなかったからだ。せどり屋が市場Bから市場Aに本を移動させなければ、市場Aではずっと品薄が続き、消費者は高い価格で本を買い続けることになる。せどり屋はただ利ざやが欲しかっただけなのだが、消費者の知らない自らの知識を、結果として消費者のために役立てている。

 市場とはこのように、偏在している知識を価格の中に織り込んでいくことで、効率的な資源配分を達成する機構のことだ。この機構を駆動する主役は、価格の発するシグナルをキャッチし、自らの知識を発揮する企業家にほかならない。

安く仕入れて高く売る。商売の基本です

  だから、冒頭の記事におけるこの発言は企業家の鑑といわなきゃいけない。せどり屋は僕らの市場経済を機能させるために欠かせない正義の人々だ。

*1:消費者にとって、市場にアクセスするためのコストは市場A, Bで等しいとしよう。この仮定を外した場合、せどり屋を正当化するのはもっと簡単だ。せどり屋は単に輸送等のサービスを提供していると考えられるからだ。