AI、生産性、雇用

wired.jp

生産性の上昇は良いことだ。今まで1日かかっていた仕事が半日でできるようになる。そうしたら僕らは残りの半日を、余暇に使ってもいいし、もっと働くために使ってもいい。

 このことに同意してもらえるなら、AIの普及が良いことだというのにも同意してもらえるはずだ。*1AIは僕らの仕事を、少なくとも瞬間的には奪うだろう。そうしたら僕らはその「奪われた時間」を、余暇に使ってもいいし、もっと働くために使ってもいい。

 逆に考えてみるのもいいだろう。雇用を増やしたいなら、機械やコンピューターを破壊すればいい。機械のおかげで半日でできた仕事が1日かかるようになれば、少なくとも瞬間的には僕らの仕事は増えるだろう。生産性を下げれば雇用は増える。1個の電球を交換するために3人のポーランド人を雇えば雇用は増えるのだ。

 注意すべきことがあるとすれば、AIの恩恵は全ての人々に一様にもたらされるのではないということだ。AIに置き換わる仕事もあれば、そうでない仕事もある。前者の仕事に従事する人々は後者の仕事に従事する人々より、少なくとも瞬間的には、相対的に貧しくなる。

 でも、相対的に、という点にはよく注意してほしい。AIの導入によって所得の額面が下がった労働者も、AIによる生産性の向上で、安くなった、あるいは品質の高くなった商品を購入することができる。生産性が十分に向上すれば、たとえ額面上の所得が下落しても、実質的な所得は上昇するのだ。

 僕らは何度も、機械や技術に仕事を奪われてきた。それは良いことだ。農具や肥料の改良が農民の仕事を奪わなければ、機械が職人の仕事を奪わなければ、僕らは今でも休みなく畑や鍛冶場に縛り付けられていたはずで、今ほど豊かで文化的な生活を送ることはできなかった。

*1:実際、AIの導入は労働生産性の向上の一例だ。AIの普及は資本装備率の上昇で、その性能の向上は技術進歩だからだ。