消費者を擁護する

  豆腐を生産するためのコスト*1が200円であるという事実は、200円のコストをかけて豆腐を生産すべきであることを意味しない。消費財は消費されるためにある。だからその価値は、消費者によって決められるほかない。消費者の評価を離れた、商品それ自体の価値というものはありはしない。


 消費者が豆腐に300円まで払うつもりがあるとする。すると利益が出るので、豆腐を200円で製造している企業は生産を増やす。これは資源の効率的利用の観点から見て望ましいことだ。300円の価値のものが200円のコストで作られているのだから、世の中には単位あたり100円分だけ、新たな価値が生まれる。


 あるいは消費者が豆腐に100円まで払うつもりがあるとする。すると赤字が出るので、豆腐を200円で製造している企業は生産を減らす。これは資源の効率的利用の観点から見て望ましいことだ。なぜなら、もしこの状況で豆腐の生産量を減らさなければ、100円の価値を生み出すために200円の価値ある資源を犠牲にしてしまうからだ。


 コストが200円より下がらないのは、同じ資源によって200円以上の価値を生み出すことのできる他の企業が、その資源を需要しているからだ。豆腐の価格が下がる。企業は豆腐の生産を減らす。このことによって豆腐の生産から解放された労働力や資本が、より高い価値を生産する他の事業や企業に移動する。経済はこのようにして回る。


 このとき豆腐の生産者に政府が補助金を出したり、政府が豆腐を買い支えたりすることには慎重でいなければならない。それは豆腐の生産を維持するかもしれないが、そのとき僕らは、豆腐の代わりに生産できたはずの、もっと価値の高いものを失っているからだ。

*1:ここではコストという言葉を経済学的な使う。つまり企業会計上の費用に加えて、資本コストをも含む。これに対応して利益は超過利潤、赤字はマイナスの超過利潤の意味で用いている。本文では読者の直感的な理解のために、単に「利益」「赤字」とした。