「貨幣進化論」の政府・中央銀行清算をBSで表示する

貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム (新潮選書)

貨幣進化論―「成長なき時代」の通貨システム (新潮選書)

 

 この本の第一章では小さな島の箱庭的な経済という、それだけならありふれた思考実験が描かれている。ありふれていないのは、政府と中央銀行の最後の日、すなわちその清算までが描写されている点だ。

 この描写をする際、著者の頭の中には明らかにバランスシートが想像されていると思われるが、バランスシート自体の解説をする煩雑さを避けるためか、説明はすべて文章と簡単な図のみで行われている。

 バランスシートが分かる人にとっては、それがあった方がやはり分かりやすいだろうと思ったので、第一章「最後の日の貨幣」における各主体のバランスシートを以下に示した。

 解説はしない。著者自身の描写が傑出しているので余計な解説を加えることは避けたい。以下のバランスシートと照らし合わせながら本文を手にとって読んで欲しいと思う。

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一点だけ余計なことを言うなら、別に著者は(おそらく)無政府主義者ではないので、政府と中央銀行を清算せよと主張されているわけではない。だが実際には清算しないとしても、それが問題なく可能であることが貨幣価値を維持するための条件である、と著者は暗に主張しているのだ。最後の王と王妃の会話はそのように読まれるべきだろう。

というか、JR北海道は”民営”なのか?

b.hatena.ne.jp

 ある人はいう、JR北海道の民営化は失敗だったと。また別の人はいう、JR北海道の民営化は間違っていなかったと。僕に言わせてもらえば、こんなものは擬似問題だ。だって、JR北海道は公営なんだから。

 民営化の定義を争うつもりはないので次の事実を知ってほしい。JR東海、JR東日本、JR西日本はいずれも金融機関や個人などを株主とする上場企業だ。一方、JR北海道は株式の100%を鉄道建設・運輸施設整備支援機構(JRTT)に保有されている。

 JRTTというのは国交相所管の独立行政法人で、政府が100%出資している。結局のところ政府はJRTTを通してJR北海道の株式を100%保有していることになる。JR北海道は政府の完全子会社なのだ。

 JR北海道の経営者は株主総会によって選任されるけど、株主はJRTTだけだから、国交省はJRTTを通して社長人事も思うがままだ。実際、国会議事録を見ると、国土交通大臣がJR北海道社長の事実上の任命権者であることが分かる場面がある。

 ついでにいうと、JR北海道の借入金は大部分がJRTTからの借入金で、JRTTの借入金は大部分が財政投融資だ。国の100%出資で、国に人事を握られ、国から金を借りている民営化って何だ?

 実際のところJR北海道は民営化していないのであって、JR北海道の赤字も公営企業が赤字を垂れ流し続けているというありふれた話でしかない。もちろん、ありふれたことだから許せなんていうつもりで言ってるわけじゃない。

 こんなものを民営化なんて呼ぶべきじゃなかったのだ。JR北海道という公営企業の失敗が『民営化』の失敗にされ、企業の規制や公営化を求める口実にされてしまえば、喜ぶのは権力を強めたい政治家や官僚だ。

  それでも僕は、JR北海道の『民営化』をちょっとばかりは評価している。JRTTが独立行政法人として、JR北海道が株式会社として切り出されたおかげで、赤字の実態や国からの金の流れが見えやすくはなったからだ。見えないところでひっそりと税金が注ぎ込まれるよりはましだと思いたい。

おまけ

 分割して民営化したのが間違いだった、という話もあるようだ。でもこれは本質的じゃない。JR東日本とJR北海道を統合したとして(その運営主体が国か民間かはここではどうでもいい)、旧JR東日本の黒字を旧JR北海道につぎ込めば旧JR北海道の赤字は消えるかもしれない。けど旧JR北海道を廃線にすれば旧JR東日本の黒字を他のことに使えるのに、なぜ旧JR北海道の路線の救済に使わなきゃならないんだ? という形で同じ問いが再浮上してしまう。

生産性の向上が飢餓をもたらすことはできない

togetter.com

上の記事はアフリカ諸国の飢餓の原因を米国などからの安価な輸入食料に求めている。安価な輸入品との競争に負けた自国の農業が立ち行かなくなり、他に働き口もないので飢餓になったのだという。

 本当に? だって自国の農業を駆逐するほど膨大で安価な食料が外国から流入しているのなら、つまり外国がそれを売ってくれていて、自国がそれを買えているのなら、それを食べればいいのだから飢餓にはならないじゃないですか。反対に、もし外国が自国に安価な食料を売ってくれないのなら、今まで通り自国で食料の生産を続けるだけなので、(自国には本来飢餓にならないだけの生産力があったという想定ですから)やはり飢餓にはならないじゃないですか。明らかに、何か見落としがある。

モデルで考える

単純なモデルを考えよう。 世界にはA、Bの2カ国のみが存在し、それぞれ独自の通貨(AD, BD)を使用している。財は1種類(食料)のみ。生産要素は労働のみで資本財はなし。生産技術は規模に関して収穫一定。A国は1人時の投入で1単位の食料を算出するのに対し、B国は同じ投入で2単位の食料を産出する(要するにB国の生産性はA国の2倍とする)。*1

 はじめ、A国は閉鎖経済(=輸出入なし)とする。A国人は1時間の労働で1単位の食料を産出し、これを国内市場で売却して例えば100ADの所得を得、その所得で1単位の食料を購入し消費する。

 ここでA国が開国し、B国から食料の輸入を開始したとしよう。当初、輸入食料1単位の価格は1BD=80ADだったとする。さて、A国産の食料は、より安いB国産の食料に駆逐されてしまうだろうか?

 今、B国産の食料価格がA国のそれよりも安いことから、A国では食料生産が行われず、B国からA国に一方的に食料が流入する。ところでA国から輸入すべき生産物が存在しないので、B国人は輸出の代金にADを受け取ったところでまるで使い道がない。ということは、ADを受け取ったB国人は、それを為替市場で売却してBDを購入する。あるいはA国人は輸入の支払のために、やはり為替市場でADを売却しBDを購入する。

 つまりB国からA国に一方的に食料が流入し続けるならば、その裏側で、AD安BD高が一方的に進行せざるを得ないわけだ。反対にB国の食料価格の方が高ければ逆のプロセスが進行するから、結局、食料1単位=100AD=1BDで均衡する。

 均衡においてA国人は1時間の労働で1単位の食料を産出し、これを市場で売却して100AD=1BDの所得を得、その所得で1単位の食料を購入し消費する。A国人の生活水準は貿易開始前と全く変わっていない。

 ついでにB国人の方を見ると、1時間の労働で2単位の食料を産出し、これを市場で売却して2BD=200ADの所得を得、その所得で2単位の食料を購入し消費することになる。A国との生活水準の差は生産技術の差から直接に帰結している。

冒頭の話は何を間違えていたのか

冒頭の話の問題は今や明らかになった。それは国際的な価格決定メカニズムを考慮していなかったことにある。為替レートを無視して「安い輸入財」を外生的に仮定することなんて出来やしないのだ。

 さてこのモデルは単純だが重要な含意を与えてくれる。A国の生活水準は貿易開始前と比べて低下していない。貿易開始前にも後にも、A国人はただ自分が生産したのと同じだけの食料を消費する。B国人がどれだけ生産性を向上させようが、それによってA国人を絶対的な意味で貧困化させることはできない。A国が貧困国だとすれば、その原因には何よりもA国自身の絶対的な生産性の低さが疑われなければいけない。

 ついでにもうひとつ、このモデルは1財モデルだから比較優位は存在しない。貿易が基本的に無害であることを示すには比較優位を持ち出さなくても足りるわけだ。そして比較優位の原理が生じる多財モデルと異なり、この1財モデルではA国の生活水準は貿易前と比べて改善してもいない。これは貿易の利益が分業から生じることを示している。

*1:1財1生産要素なので生産性は 財の産出量/生産要素の投入量 によって定義される。

それでも貿易はインドを豊かにする

b.hatena.ne.jp

上の話によると、東インド会社の時代、インドの綿製品よりも遥かに安い大英帝国の綿製品がインドに流入したことにより、インドの伝統的な紡績業は壊滅してしまったという。それが大反乱を招いたとも。

 本当にこれだけの話なら、英国産の綿製品の流入が紡績業従事者を除くほとんどのインドの人々にとって良いことだったのは明らかだ。彼らは従来よりも遥かに安く綿製品を入手し、余った所得を別のことに使えるのだから。

 そして紡績業に携わる人々にとって悪いことだったのかも自明じゃない。彼らの所得が例えば80減ったとしても、従来100払わなければ買えなかった綿製品が10で買えるのなら彼らの生活は改善する。

 比較優位の原理を腐すコメントもあるようだけど、インドは一方的に商品を買っていたわけじゃなく、インドからは原材料の綿花が輸出されていた。労働集約的なインドからは綿花が、資本集約的な英国からは綿製品が輸出されるというのは基本的に比較優位の原理(の拡張版であるヘクシャー・オリーンの定理)に合致する。

  ところで、仮に輸出する商品もなく一方的に輸入し続けるとして、どう問題なんだろうか? いつかこっちの代金が枯渇して向こうが売ってくれなくなることだけが問題なのであって、売ってくれる分には頂戴しておけばいいでしょう。

 大反乱について言えば、当時の東インド会社がインドの実質的な統治者だったことを忘れるわけにはいかない。重税や藩王国の取り潰しに対する抵抗という面を抜きに、商品の輸入が大反乱を招いたように語るのは公平じゃない。

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 実際のところインドの一人あたりGDPはムガル帝国時代から緩やかに下降していて、大反乱(1857)前の東インド会社による決定的な影響は見られない。*1 大反乱後しばらくしてから成長に転じるのは、大英帝国による直接統治が始まって、英国からの対内直接投資が増加したからじゃないかと思われるけど、20世紀半ばには再び停滞する。

 結局、インドが飛躍的な成長を遂げるのは1990年代を待たなきゃならなかった。つまり、主にラオ政権以降、政府による複雑な許認可制度が廃止され、電力・港湾などのインフラ投資に民間資本や外資の導入が認められ、公的企業の売却が行われ、そして、貿易の自由化が進められることを。

 インドを独立させたガンディーはおそらく偉大な指導者だった。けれど彼の考えとは違って、インドの経済を蘇らせたのは糸車じゃなく、インドの人々の企業家精神であり、外資であり、貿易だったのだ。

*1:グラフはMaddison Projectによるインドの一人あたり実質GDPの長期推計。縦軸は2011年のUSD。

上場子会社の社外取締役設置義務化に反対する

www.nikkei.com

政府は親子で株式市場に上場している企業グループの利益相反を防ぐための新しい指針をつくる。子会社の取締役は過半を独立した社外取締役で構成するなど経営の自主性を求めるのが柱だ。

 子会社を上場させるのは子会社株を売って資金を得るためだ。社外取締役の設置が投資家の利益になるのなら売却価格も上げられるのだから、売り手である親会社は誰に言われるまでもなく子会社に社外取締役を設置する。

 反対に、社外取締役の設置が投資家の利益にならないのなら、社外取締役に払う報酬とガバナンスの混乱が親会社と投資家(少数株主)の損になる。どっちに転んでも、上場子会社への社外取締役設置義務化は無意味か有害だ。

 だいたい、すでにコーポレートガバナンスコードで上場企業への社外取締役設置が半ば義務みたいになってるけど、そっちは事実上の天下り先確保以外にどういう効果があったのか、金融庁や経産省は何か総括したんでしょうか。

親子上場は日本特有の構造で親会社の利益を優先して子会社の少数株主の利益が損なわれるとの懸念が海外投資家を中心に根強い。透明性を高めて企業統治の向上をめざす。

  根強いって誰が言ってるのか知らないけど、例えば最近上場した子会社の方のソフトバンク*1なんかは、孫さんがリーダーシップを発揮してくれると思われてこそ買われたんじゃなかろうか? 社外取締役を過半にしろだとか政府が後出しで言ってくるような市場だって事実の方が、投資家にとって余程懸念事項でしょう。

*1:上場後の値動きを考えるとあんまり成功例じゃないかもしれないけど。

Amazonが税金を払っていないのはXXXに払いまくっているから

Amazonが過去最高益なのに税金をろくに払っていないというので話題だ。タックスヘイヴン云々という批判もあるようだがこの点に関しては誤っている。Amazonが利益のわりに課税を免れている理由は国際租税回避ではなく、米国の税法と会計基準にある。そしてAmazonが税金を払っていないというのは相当程度真実なのだが、にもかかわらず米国政府が税収を失っているわけではない。これは矛盾ではない。読者は最後にAmazonの意外な真実を知るだろう。

■あなたが減税したんでしょう?

利益のわりに税額が少ない場合、会計上の税前利益×法定税率と、実際の税額とを比較するのが定石だ。表の一番上が会計利益と法定税率から算定した理論上の税額、一番下が実際の税額で、その間に差額の要因を示している。*1

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Amazonが1ドルも税金を払っていないとかいった話は連邦法人税に限ったもので、州や米国外で課税された分を含めると756百万ドル課税されている。 それでも金額は法定税率の3分の1程度だ。課税額の圧縮に最も大きく影響しているのは株式報酬で、次に減価償却が影響している。

 減価償却の方は比較的少額で退屈な論点だからさらっと流すが、これは税制改正で固定資産の早期償却が拡大されたからだ。税務上の損金を会計上の費用に先行して計上できる分、課税を先送りにでき、設備投資の資金繰りが有利になる。ただし税金が免除されるわけではないので、結局は後の年度に多く払うことになる。

 言うまでもないが、この税制改正というのはトランプ税制である。大統領はAmazonの払っている税金が少ないと批判したそうだが、自分で減税しておいて何を言っているのか?

■ストックオブションは魔術か

株式報酬(役員や従業員に付与されるストックオプション)には、企業が労務を受け取る対価に既存株主の負担(株の希薄化)を強いる点で費用性が認められるが、現金を支払うのと違って対価の測定がはっきりしない。

 米国会計基準での株式報酬は付与日の時価をもって費用額を測定する。一方、米国税務上の非適格ストックオプションは行使時点の株価マイナス行使価格が損金に算入できる。普通、ストックオプションは株価が上がった場合に行使されるから、会計上の費用額より税務上の損金が大きくなる。

 つまりストックオプションで報酬を支払った場合、投資家に開示する財務諸表では利益を大きく見せることができ、税務申告上は所得を小さく見せることができる。なんという魔術!

 もっとも、会計上の交際費の全部を税務上の損金にはできないのと同じで、会計と税務は目的が違うため、利益や費用が両者で違っても驚くことではない。付与時のストックオプションの時価は多くの場合見積りで算出するしかないのに対し、行使時の株価は上場企業の場合客観的な数字だから、課税目的に後者を使用するのは理解できる。

■Amazonの仇をベゾスで討つ

そうはいっても実際大した税金を収めていないのでは、税金逃れの感は否めないだろう。ところが、ストックオプションで報酬を支払うことで法人税を逃れたとしても、課税を逃れることはできないのだ。なぜか?

 仮に行使時の株価で百万ドル分のストックオプション(行使価格はゼロ)をジェフ・ベゾスが行使すると考える。このときAmazonの法人税計算上、百万ドルが損金となるのと同時に、ベゾスの所得税計算上、百万ドルが所得となる。

 米国の非適格ストックオプションでは法人の所得減と個人の所得増はコインの裏表で、必ず一致する。Amazonがストックオプションの支払で課税を逃れたとしても、その分は結局、ストックオプションを受け取った側で課税されてしまう。

■ストックオプションを受け取ったのは誰?

例に出しておいて難だが、実のところベゾスはストックオプションを受け取っていない。 それどころか役員へのストックオプションも大きな割合を占めてはいない。

 近年*2のAmazonで役員へのストックオプションが最も多額に付与されたのは2016年の94百万ドル(付与時の時価ベース)で、総額660百万ドルの14%にすぎない。役員へのストックオプションは毎年付与されるものではないので、数年間の平均ではこの割合はさらにずっと小さくなる。

  ならば残りは誰に払っているのか? 株式報酬(Stock-based compensation)と言っている以上、役員以外の従業員に払っていると考えるほかない。従業員に労務の対価としてストックオプションを付与することで法人税が減るのは、普通に現金で給与を払った場合に法人税が減る理屈と変わらない。要するにAmazonが税金を払っていないのは、その分従業員に払いまくっているから。驚きかもしれないがこれが真相だ。

■まとめ

・Amazonが利益の割に税金を払っていないのは会計上の利益と税務上の所得の差。

・Amazonの場合は大部分が減価償却と株式報酬から生じている。どちらも国際租税回避などではなく、単に米国内の税法の問題。

・Amazonは従業員に株式報酬を払いまくっているので法人税が小さくなっており、その分は従業員の側で所得税が課される。

■おまけ:日本では?

日本では上のような株式報酬の問題は生じない。日本の非適格ストックオプション税制では、損金算入額は付与時の時価とされているからだ。これは、計上のタイミングのズレを除けば、基本的に会計上の費用と一致する。

 問題は生じない? いや、むしろ日本の方が問題だ。なぜなら所得税法上は、日本も米国同様、行使時の株価マイナス権利行使価格が給与所得となっている。

 つまり日本の課税当局は、法人には「あなたが払ったストックオプションの価値は付与時の時価ですよ」と言ってなるべく損金を立てさせないようにしつつ、個人には「あなたが受け取ったストックオプションの価値は行使時の株価ですよ」と言って所得を多く立てさせているのだ。二枚舌め!

*1:2018年12月期。減価償却の影響は減価償却に係る繰延税金資産増減×21%で算出。「その他」は差額で計算。ほかの項目は財務報告から直接数字が取れる。

*2:記事の執筆時点で2018年12月期の役員報酬は開示されていない。

転売の利益の本当の源泉(あるいは転売屋の正義について)

チケットの転売で利益が生じるのは、主催者の設定した値段が転売屋のそれよりも低いからだ。しかし、なぜ低いのか?

 この問題について、お得な価格でライト層を新たに呼び込むことが長期的な利益につながるからだ、という見解をしばしば見かけるようになった。そういうことも実際ありうるかもしれないが、それこそが転売の利益の主な源泉であるという見解には、僕は全然説得力を感じない。

 というのは、第一に、長期的な利益なんて関係のない単発系のイベントのチケットもやはり転売の対象になっているという事実が説明しがたい。第二に、ライト層向けの価格設定は、実際には座席の質によって価格に差を設ける(例えばステージから遠い席は安くする)という形で行われていることが多いのではないか。この場合、上の見解に従えば、少なくともコア層向けの最もグレードの高い座席の転売からは利益は生じないはずである(そのような席をライト層向けのためにディスカウントすることは考えがたい)。が、そのような座席も実際にはやはり転売されている。

 もっといえば、転売というのはイベントのチケットに限らず、ほとんどあらゆる商品にみられるといっていいほど広範な現象であって、その源泉をイベント固有の要因に求めることが筋のいい考え方とは思われない。原油が転売されるのは新規顧客獲得のためにディスカウントしているからなのか? そうではないだろう。

 では転売の利益の本当の源泉はどこにあるのか? これが絶対の正解だと述べるのは難しいが、イベントを主催している人々に実際に聞いてみる方が、長期的利益云々などという話よりかは遥かに納得のいく回答が得られるだろう。「もっと高い値段でも売れると思いますが、なぜ安い値段で売るのですか?」と聞けば、彼らはこう答えるに違いない。「ひょっとしたらあなたの言う通りかもしれませんが、そうでないかもしれません。私はなるべく売れ残りを出したくないのです」

 つまり、これは在庫リスクの問題なのだ。価格をいくらにすれば何席売れるかを事前に正確に予測することはできない。売れ残りを少なくしようと望むなら、それだけ安めの値段を付けざるをえない。しかし世の中には主催者よりも楽観的な予測を立てる人々や、より高いリスクを取ってもよいと考えている人々がいる。彼らは主催者の設定した値段よりも高く売れる方に賭けてチケットを仕入れることができる。主催者よりも高い在庫リスクを引き受ける彼らを人は転売屋と呼ぶ。

 転売屋の得るマージンは、主催者が引き受けることを諦めて放棄した、在庫リスクのプレミアムである。だから、転売屋が主催者の設定した価格より高くチケットを売りさばいたとしても、転売屋が主催者の利益を横取りしたことにはならない。

 とあるコンサートの空席が転売屋のせいで多い、という記事をどこかで読んだ。けれども、転売屋だって売れなければ転売価格を仕入れ値以下まで下げるだろう。先に買った客からのクレームを考えなくていい分、値下げについては主催者よりも柔軟にできるとさえ言える。それでも空席が多いのは、転売屋がいなくても空席は多かったと考える方が自然だ。そうであれば転売屋たちは、そのコンサートの主催者に利益をもたらしている。彼らが高い在庫リスクを引き受けてくれたおかげで、主催者は座席の売れ残りに悩まされずに済んだからである。