なぜ役務を無償で受けても課税されないのか

法人税法第22条 2.内国法人の各事業年度の所得の金額の計算上当該事業年度の益金の額に算入すべき金額は、別段の定めがあるものを除き、資産の販売、有償又は無償による資産の譲渡又は役務の提供、無償による資産の譲受けその他の取引で資本等取引以外のものに係る当該事業年度の収益の額とする。

 上の条文に規定されている通り、法人の無償取引に関して、あげた側では常に法人税が課されるのに対し、貰った側では資産の場合にだけ課税され、役務の場合には課税されない。例えば時価1億円の不動産をタダで貰ったら課税されるのに、家賃1百万円の事務所をタダで借りても課税されない。なぜだろう?

 この秘密は仕訳を考えれば明らかになる。タダで1億円の不動産を貰えば1億円の受贈益が発生する。

不動産1億円/受贈益1億円

 一方、タダで家賃1百万円の事務所を借りる場合、普通は仕訳を切らないが、仮に切るとすれば次のようになるはずだ。債務免除益が発生すると同時に支払家賃が発生し、債務免除益と支払家賃が打ち消し合って、結局課税所得が生じない。

支払家賃1百万円/未払家賃1百万円

未払家賃1百万円/債務免除益1百万円

  もう一度不動産を貰ったケースに戻ると、後々まで考えれば、不動産1億円もいずれは減価償却費や譲渡原価となって損金算入される性質のものだ。

不動産1億円/受贈益1億円

減価償却費1億円/不動産1億円

  家賃のケースと同じ形の仕訳になっているのがお分かりいただけるだろうか? 資産の譲受けの場合でも、後々まで考えれば、譲受けた資産は結局損金に化けるので、課税所得は生じない。

 言い換えれば、受贈益というのは、資産を譲受けてから資産が損金に化けるまでの時間差に課税しているのだ。資産は将来時点において用役を提供する――それが資産であるということの意味である――のに対し、役務を受ける場合には時間差がないので課税関係が生じない。

おまけ

ところで法人ではなく、例えば従業員が家賃1百万円の社宅を会社からタダで借りた場合、普通に給与所得として課税される。これは上の理屈と矛盾しているだろうか? そうではないだろう。この場合には支払家賃は居住用住宅の家賃となるし、そもそも給与所得からは経費が引けない。上の仕訳を使って法人税風に説明すれば、支払家賃が損金不算入となって債務免除益と相殺できなくなってしまうわけだ。

のれんの償却はなぜどうでもいい問題なのか

www.nikkei.com

日本基準ではのれんは毎期一定額が規則的に償却されるのに対し、IFRSではのれんの償却は行われない。のれんの価値が簿価を下回ったときに減損するのはどちらの基準も同じである。

 今、IFRSでものれんの償却の導入を検討する動きがあるようだ。のれんの価値が維持されるのは稀であり、どうせ減損することになるのだから、はじめから規則的に償却してしまえ、ということらしい。

 僕の周りの同業者にも、のれんはすぐに減損されるという経験則からのれんの規則償却を支持する人が少なからずいるみたいだ。が、僕の考えは違う。のれんの償却は情報として意味がなく、したがってそれを償却するかどうかというのは全然どうでもいい問題であり、仮に株価がそれに反応するとしてもそれは投資家の錯覚である。なぜか?

 財務報告の目的は投資家の意思決定に資する情報を提供することである。投資家に追加的な情報を与えない会計ルールには意味が無い。今、のれんを償却しない会計ルールが採用されているとする。この場合でも、のれんの取得日と当初測定額は開示されるのだから、規則償却したければ投資家の側でそのように調整することは容易である。これは、のれんを償却する会計ルールによって与えられる情報を、投資家がすでに知っていることを意味している。つまり、のれんの償却のルール化は投資家に追加的な情報を与えない。よって、のれんの償却ルールは無意味である。

 のれんの償却が唯一追加的な情報を与える可能性があるのは耐用年数だ。のれんの当初測定額を所与としたとき、毎期の償却金額を決める変数はこれしかないからだ。ところが、これは現場の実務に触れた人なら誰でも知っていることだろうが、のれんの耐用年数はで決まっている。20年はいくらなんでも長すぎるだろう、同業のあそこは5年でやってるらしい、10年先までは経営計画が作ってあるからまあいいだろう、くらいのノリである。のれんの真の耐用年数なんて経営者だって知らない。だから後々減損するのだ。

 よりよい会計ルールとは経営者の判断の余地がより少ないルールだ、という考え方は、会計ルールの存在意義を根本的に見誤っている。ただ一種類の会計処理が機械的に適用されるほかないなら、その会計処理は情報として価値を持つことができない。のれんの減損が情報として価値を持つのは、それが減損されないこともありえたからだ。毎期定額で償却されるに決まっているものの償却金額を開示することには意味が無い。だからのれんの償却ルールを導入するかどうかが何か重大な問題であるかのように議論されていることは僕には全く奇妙なことだ。のれんを償却するかどうかは、そのように調整したほうが企業価値をよりよく推定できるかどうかという投資家の側の問題であって、会計ルールの側の問題ではない。

累進所得税は応益負担か?

所得の多い人は、その所得を稼ぎ出すためにそれだけ多くの公的インフラを使用しているはずであり、したがって累進課税は応益負担の観点から正当化される、という見解を見かけた。が、この理由付けは相当無理がある、と思う。

 Aさんは(税引き前で)所得300万円のタクシードライバーであり、同じくタクシードライバーのBさんは所得900万円である。Aさんの納税額は20万円、Bさんの納税額は143万円となるが、BさんはAさんの3倍の所得を稼ぐために、7倍多く道路を走ったりしたのだろうか?

 またBさんの所得が330万円丁度になるときに受け取る1万円には1千円の税金がかかり、その次に乗せた客を全く同じルートで運んで受け取る1万円には2千円の税金がかかるが、前者の場合と後者の場合とで、公的インフラの使用にどのような違いがあるというのだろうか?

 さらに、AさんとBさんが結婚したとして、これまで通り300万円・900万円をそれぞれ稼げば納税額は2人合わせて163万円であるが、600万円ずつ稼ぐことにした場合には納税額は154万円となる。これまでBさんがしていた仕事の一部がAさんにそのまま移っただけなのに、公的インフラの使用が少なくなったなどとどうして言えるだろうか?

おまけ

 ついでにもう一つ。公的インフラの使用度が累進課税の理由なら法人税の累進というのも考えてよいはずである。もし累進法人税が創設された場合、企業は事業部ごと・地域ごと・店舗ごとなど分社化を進めてタックスブラケットを下げるに違いない。経済的実態がそのままに法的な立て付けが変わっただけで納税額が変化するのは応益負担に明らかに反する。これはまた、累進法人税が存在しないのに累進所得税が存在する理由を示唆しているように思われる。つまり、法人は分割できるが自然人は分割できない。

空襲と設備更新の誤謬

headlines.yahoo.co.jp

戦後日本が米国を上回る高成長を遂げたのは、企業設備が空襲で破壊されたために、最新の設備に一新されたからだ、とかつて言われていたことがあった。この説には難点がある。別に空襲がなくたって設備を更新するのは自由だ。最新設備を導入すれば豊かになれるなら、なぜ米国はそうしなかったんだろう?

 稼働中の旧式設備には新設備と比べて明らかな利点がある。なんといっても導入のためのコストがゼロだ(だってもう導入している!)。だから新設備の方が優れているからといって直ちに設備を更新すべきではない。削減できるコストが導入のためのコストを上回っていなければ、古い設備を使い続けたほうがマシだ。

 当時の米国の設備更新が日本に比べて遅れていたとしても、それは企業の合理的な判断の結果だ。米国企業に設備更新を強制したとしても、それで米国が豊かになることはなかっただろう。また空襲による企業設備の破壊が日本を豊かにしたということもありえない。

  経産省が古いIT設備の更新を企業に促すそうだ。老朽化したシステムがもたらすコストの削減が目的だという。もし導入のためのコスト以上の効果があるなら、促されなくたって企業は自発的に設備を更新するだろう。さらにもし、設備更新に補助金を出すようなことがあれば、企業にまだ使うべき設備を廃棄させる無駄遣いを推奨することになる。それは空襲で豊かになれると思うのと同じ勘違いなのだ。*1

*1:ところで冒頭のニュースによれば、経産省の報告書は、設備を更新すればGDPが上がると言っているようだ。たしかに設備更新によってGDPは上がるかもしれないが、GDPはここでは適切な指標ではないだろう。GDP(Gross Domestic Product)はNet(純)に対してのGross(粗)であり、固定資本減耗(企業会計でいう減価償却)控除前の数値である。要するにGDPという指標では設備投資のコストが考慮されないのである。

時価会計有害説

 Fischer BlackがMagic in earningsという論文で時価会計について面白いことを述べていたのを見つけたので一部訳出する。 

証券アナリストは利益について明白な考えを持っている。彼らは標準的なPERを乗ずることで価値の推定が得られるような利益数値を求めているのだ。彼らはPERが何であるべきかを明らかにするために働きたくないので、それが例えば常に10であれば、彼らにとって明らかに最もうれしいことである。従って彼らは、単に10倍すれば企業価値の推定が得られるような利益数値を与える会計プロセスを好むだろう。

(中略)

 他方で経済学者が普通述べるところでは、利益は価値の変化に関係すべきであるといい、この見解は最近会計士の間で受け入れられつつある。通貨価値の変化による利得・損失の全額が損益計算書において開示されるべきであるというここ数年の動きは、価値についての経済学者の見解が受け入れられていることを示している。しかしながらこの見解に基づけば、企業の利益数値はより不規則で、企業の状態の測定値としてより役に立たないものになる。もし10を乗ずることで価値の推定が得られるような利益数値を求めるのであれば、その会計期間の通貨価値の変動による利得・損失を利益数値に全額で含めてはいけないのだ。

例えば企業が保有する資産の価値が2億円だけ下落したとする。これは明らかに企業価値を2億円だけ下落させる。しかしこの2億円の損失を全て純損益に反映させた場合、PERが10であれば、企業価値の下落は20億円に過大評価される。

 上の引用では通貨の評価替えについて述べているが、同じ理屈が有価証券の期末評価や減損損失についても言える。つまりこの理屈によれば減損損失というものは存在してはならないか、PLを経由せずにOCIに直入し、PL上は通常の減価償却を継続すべきことになる。

「公正な環境」? ──EUの動画配信規制についての雑感

japan.cnet.com

この法案が可決されれば、EU圏で営業しているオンデマンド動画ストリーミングサービスは、コンテンツの少なくとも30%を同地域で製作されたものにすることが必要になるという。

 もしEU圏で製作されたコンテンツを消費者が求めていて、しかもAmazonやNetflixがそれを提供していないというのなら、地元の動画配信サービスにとってはビジネスチャンスのはずであって、放っておいてもどこかの企業がそれを配信するだろう。こんな法案は要らないってことになる。

 もしEU圏で製作されたコンテンツを消費者が求めていないなら、この法案は価値のないもの(商業コンテンツは消費されるためにあるんだからその価値は消費者が決めるしかない)を作るための資金をAmazonやNetflixに出させるためのものだってことになる。

 ところでAmazonやNetflixが資金を出すって、つまりが出すんだろうか? 法人なんてオバケがリアルな資源を負担してくれるわけじゃない。結局のところそれは株主か、従業員か、消費者か、いずれにしても生きた人間の負担でしかありえない。

  EUに無駄なお金を払わされる企業にとってはコストアップと同じだから、値上げか、商品の質やラインナップが低下するか、つまり負担はゆくゆくは消費者に帰着するところが大きいと思われる。この法案はEUの消費者を犠牲に映像産業という特定の業界に利益を誘導しているわけだ。

 「オーディオビジュアル部門のすべての事業者にとってより公正な環境になることが、大いに求められている。われわれの文化部門が、オンデマンドのコンテンツ編成でより重要な位置を占めるようになる。欧州のクリエイターや作家にとって有意義な変化だ」

  公正? 規制当局は本気でそう思っているのかもしれない。だけどAmazonやNetflixが動画配信業界で圧倒的な存在感をもっているのは消費者から圧倒的に支持されているからだ。それ以上に公正な判断なんてあるだろうか? 規制当局が彼らの資金の使い道にあれこれ口を出す方が公正だなんて話は僕には信じられない。

内部留保(利益剰余金)に関する5つの事実

www.asahi.com

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もはや恒例記事となりつつあるとなりつつあるので多くは語らない。

  1. 利益剰余金は過年度の「利益ー配当」の積上げである。
  2. したがって企業が普通に利益を出していれば利益剰余金は毎年当然に過去最高を更新し続ける。
  3. 実際、戦後ほとんどの時期において利益剰余金残高は前年を上回っている。
  4. 利益剰余金が横這い・減少で推移した時期はバブル崩壊やリーマンショックに代表されるように日本経済が危機的な状況にあった時期である。
  5. 利益剰余金が増えているときは基本的に設備投資が堅調なときであり、利益剰余金が減っているときはその逆である。*1

*1:設備投資も利益剰余金も景気がいい(利益が多く出ている)ときには増えるので。

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